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2009年11月05日
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試練

藤三郎は自分の考案による設計をし、機械もいろいろ工夫し、その年6月に試験的な精製糖工場を建設した。それから一生懸命実験に従事した結果、ついに多年願望の純白な精製糖をつくることに成功した。
しかし、それは純白な精製糖が出来たというだけで、歩留(ぶどま)りが悪く、数量もごく少なかった。ただの実験としては成功だが、これでは事業としては成り立たない。歩留まりが悪いのは、機械に欠点があるからだ。藤三郎は機械の改良を志したが、それには機械の製作を自分の手でやるに限ると考え、ランキンの機械学の翻訳本を手に入れて独学したり、例の調子で工学専門の学者を訪ねて教えを乞うたり、それに全力を傾けたので、半年経たないうちに鉄工業に関する一通りの知識をえてしまった。翌24年早々から宅地の一隅に小鉄工所を設けて、最初は5人の職工を使い、自分が技師になって機械の製作を始めた。これが鈴木鉄工部の起りである。この鉄工所を維持するために、金庫や精穀機も造って売り出した。
こうして苦心研究の結果、砂糖精製機も自分で満足するようなのが完成した。その製品も市場の好評を博して、年来の希望がようやく達せられた。
藤三郎の事業は、順風に帆をあげたように進展していった。氷砂糖の方は福州製品の輸入を完全に防ぎ、精製糖も品質が良いので、将来の発展が期待されるようになった。
しかるに、運命の寵児(ちょうじ)のように思われた彼の事業の上にも、大きな試練が待っていた。
明治27年3月20日、藤三郎は作業が終ってから、小名木川の南の河岸にあった工場の隣の自宅の座敷で、森町時代から恒例の報徳の集りを工場員たちと開いていた。「報徳記」や「二宮翁夜話」の一節を朗読して、その講義をしたり、感想をのべたりするのであった。
この夜の集りもようやく油が乗ってきた8時頃、
「火事だ!火事だ!」
と工場の方でけたたましく叫ぶ声が聞えてきた。一同はこれを聞くと羽織を脱ぎ棄(す)て席を蹴(け)って飛び出した。
見ると、氷砂糖工場の結晶室のあたりは一面の火に包まれていた。その火は忽(たちま)ち氷砂糖工場全体に廻り、精製糖工場に移りかけていた。数日来の晴天続きで乾き切っている上に、春先のからっ風にあおられて、氷砂糖工場をなめ尽くした紅蓮(ぐれん)の炎は、工場員たちの必死の消防のかいもなく、精製糖工場に燃え移ってしまった。
この火の手を見て、遠近から駈けつけた幾組かの消防隊は、盛んに火を吐き出している精製糖工場に向って一斉にポンプの筒先(つつさき)を向けた。その時火事場の中から踊り出て、
「水を掛けてはいけない!水を掛けないでくれと叫ぶ人影がある。
火事に「水を掛けるな」と止めるとは、この火事に逆上した男かと、消防隊はもちろん、工場員たちも不思議に思って、暗夜に天を焦す火焔(かえん)を背負って立っている姿に眼をみはると、なんとそれは藤三郎自身であった。
消防夫が彼のそばへ駈(か)け寄って云った。
「なぜ水を掛けてはいけないんですか?」
「建物は木造だから直ぐ建てかえることが出来る。だが、機械は鉄だから、熱している最中に水を掛けたらピンと割れてしまって、再び使えなくなる。建物より機械がだいじだ。どうか水を掛けないでくれ」
と藤三郎はいった。消防隊もこういわれては手が出せない。それに、工場員の住宅以外には、付近(ふきん)に人家もないから類焼のおそれはない。そこで消防隊も住まいの方へ延焼することだけを防いで、手持ちぶさたに火事を眺(なが)めていた。
工場は火に任すと腹を決めた藤三郎は、まだ火の手が上っているうちに、家の中へ入って、吉川たちとあとのことを相談したり、復興の設計図を引いたりして、案外平気であった。そのうち火事は、氷砂糖と精製糖の両工場を完全に焼いておさまった。
翌朝、火気のしずまるのを待って藤三郎は、金槌(かなづち)を手に持って焼け跡を見回った。そしてまだ熱い灰をかきわけて、機械類を一々叩(たた)いて検査して見たところが、思った通り大部分は使い物になることが分って安心した。破損したものでも少しの修繕で使用できるのは天の助けであった。こう知ると俄(にわ)かに昨夜からの疲れが出たので、火事見舞いの人々の応接は吉川たちに任せて彼は家へ帰って前後不覚に眠ってしまった。
この工場火災の原因は、氷砂糖工場のムロと呼ばれた結晶室の焚(た)き口の鉄板が焼き切れて危険な状態になっていたのを、ほかの仕事が忙しくてその修繕に手が回らなくていた。火焚き役は郷里から連れてきた一木仲吉という青年であったが、その一木が脚気(かっけ)になって郷里へ帰って静養することになり、そのあとを引受けた人が、この事情をよく知らなかったことから起った失火であった。
工場火災の電報は同夜のうちに森町の福川に届いた。福川は藤三郎の妻の父である朝比奈久三郎や、帰郷したばかりの一木青年と一緒に、早朝森町を立って袋井駅から汽車で、この日の夕方東京へついた。
 この際両工場の全焼に、藤三郎がどんなに力を落していることかと、殆(ほとん)ど慰めの言葉にも窮する思いで家に入ったところが、その本人が大いびきで寝ていたのには、先ず驚きもし安心もした。焼け跡を見てあまりにむざんな状態に又驚いた。藤三郎が目覚めてから会うと、もう復興の設計図までできているのを見せられて3度驚いたといわれている。





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最終更新日  2009年11月05日 22時29分22秒



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