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2012年11月03日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
 

明治16年(1883 2月、札幌農学校は農商務省内に新しく設置された北海道事業管理局の所轄となった。札幌農学校の教授・助教が相次いで発令され、教授には豊原百太郎、橘協の2人が任命され、外国人教師とともに本科の授業を担当した。また助教には8名が発令され、予科の授業を担当した。助教のなかに、札幌農学校の卒業生第1期生の大島正健、内田瀞(きよし)、2期生の南鷹次郎、宮部金吾の4人が含まれている。(「農学校物語」p31)

宮部金吾 東京大学生物学科植物学教室で、海藻及び地衣の研究等をする。9月11日菊池久鹿理学部長と矢田部教授併記のディプロウマを受ける。「生物学科第二年第三年の植物学を修メ、其学ヲ完了シ、且其学課ノ外ニ植物組織学ヲ専修セリ、依テ之ヲ証ス」。北海道事業管理局の北海道志に西洋植物学の自然分類に従った北海道の顕花植物を整理した原稿を書く(最初の「北海道植物誌」)。札幌農学校助教として植物園設立を委任され、設計図を作成。

内村鑑三 4月、札幌県に辞表を提出。5月、第3回全国基督信徒大親睦会に札幌基督教会を代表して出席し演説、「空ノ鳥ト野ノ百合花」。同月、津田仙の学農社の講師となる。12月、農商務省御用掛となり、農務省水産課に勤務、『日本魚類目録』の作成などにたずさわる。

新渡戸稲造 5月上京、9月東京大学入学、英文学、理財、統計を修める。

広井勇 1月東京に移り、工部省の6等技手を拝命。3月には鉄道局上野鉄道局勤務を命ぜられ、日本鉄道会社(私鉄)の上野・高崎間の鉄道敷設と橋梁の設計施工に携わった。広井は赤羽と川口を隔てる荒川をまたぐ鉄橋の設計と架設を担当していた。

 

 

『評伝 山に
向かいて目を挙ぐ 工学博士・広井勇の生涯』高橋哲郎著p89-93に広井勇が宮部金吾にあてた英文の手紙とその大意が載っている。明治16年(1883)6月、広井は札幌農学校に残って研究を続ける宮部に病気見舞いとともに宮部の科学研究への情熱に感銘し、キリスト教徒の真の確信のために努力することを語る。

 明治15年(1882)2月、開拓使は廃止され、広井は工部省所属となり、同年11月御用掛を命じられ、明治16年1月東京に移り、工部省の6等技手に任ぜられ、3月には鉄道局上野鉄道局勤務を命ぜられ、日本鉄道会社(私鉄)の上野・高崎間の鉄道敷設と橋梁の設計施工に携わっていた。広井は赤羽と川口を隔てる荒川をまたぐ鉄橋の設計と架設を担当していた(上掲p88)

 

広井第1信(英文 封書:日本文は大意)

明治16年(1883)6月7日 東京御徒町 宮部金吾宛   東京上野鉄道局 広井勇

親愛なる友よ、

君の幸せと繁栄を心から祝す。君が最近病気になったことほど私を悩ませたことはない。病気には常日頃から注意しなければならない。どんなに健康そうに見えても病気は突然襲ってくる。前回君に面会したときほど影響を受けたことはない。

 科学研究に対する君の「激しい情熱」は僕にその方面での努力を促した。君は自然研究においてキリスト教徒の真の精神を培っている。生涯にわたり努力することを切望する。近いうちに君は二重に祝福されるだろう。僕が君に打ち明けた宗教上の確信は日に日に強まるばかりだ。僕は努力することを学んだ。この確信において努力することこそキリスト教徒の最大の義務だ。神の教えを守るため努力あるのみ。暇があったら、ヨハネの信書を考えてみてくれ。最近僕は精神的に良好な状態にある。僕が最近つくった英詩を紹介する。

  キリスト教徒としての戦いの中で

  血を流す世界の戦いの中にあって

  そこに情熱のほとばしりを見る

  つまりは勝者たらんと熱望する

 

  我らは"救いの主"を固く信じ

  生涯の長い闘いを戦い続けようとする

  ついに勝利したとき戦いをやめ

  神の栄光を分かちあうのだ。

  

  ベッドの中で人生を思索し

  その日の勝利を見い出したとき

  歓喜と精神力が疲れた心に

  大いなる癒しを繰り返しもたらすだろう

 

In the Christians field of Battle,

 

In the World's contest strained with blood,

There are in both scenes full of mettle;

Each aspires to be as victor clad.

 

Firmly in our Savior we trust,

To fight out the lifelong warfare,

And when in victory we desist

There in heaven His glory to share.

 

When in our bed we meditate,

And find won in the day's action,

Joy and strength in geminate

On the fatig'd soul pouring unction,

ぜひ君に会いたい。暇なときに手紙を書いてくれ。皆様に「よろしく」。

                                                          I.H.

 

第26信(英文 封書)  下谷区徒士町 宮部金吾氏行 テヅカラ開クベシ

豆州熱海富士屋方 汝愛友ヨリ

       内村鑑三日記書簡全集5 p53
  1883年(明治16年)6月8日、熱海にて
 親愛なる友

 友人たちとはなれ、今、僕はただ一人である。慰めもなく、あるものは多くの無益な予感のみ。ダーウィンとウィンチェルだけが友である。景色は実に美しく、魚は豊かに、空気はさわやかに、気候は快い。君の方はどうかー病気はどうか。もう治ったか。君のために毎日祈っている。兄弟太田〔新渡戸稲造〕はどうか。出発する前日、彼の精神上のことについてとくと話し合ったが、彼はキリスト信徒でありたいとの熱心な希望をのべた。お互いに彼のために祈ろう。

〔一人でいるので「自然いろいろな考え」がわくと思いを述べる〕

しかし、ありがたいことに、僕の心は肉体ほど弱く、絶望的ではない。心は友情のお蔭で依然あたたかく、かつキリストとキリストの救いとを求めんことを願っている。しかり!人の年齢は歳月の数をもって計算すべきでなく、最も高貴なことを思い、全力を傾けて実行する人こそ最も長く生きる人である、と僕は教えられてきた。人の年齢を老けさせるものは、一年一年の増加を告げるベルの音ではなく、心臓の一つ一つの鼓動である。願わくはわが思いにあらずして神のみ旨の成らんことを。

 自分の暗い将来を考える時、僕は悲しみと失望に沈み、ただ

  悲哀と労苦と苦痛と

   罪とよりわれら解き放たれ

  欠けなき愛と友誼とは

   永遠限りなく行きわたらん

その来たらん世界だけが残る。この際、太田が東京へ来たことは、僕にとり神の特別の祝福だと思う。もし君が今夏、札幌へ行き、僕がただ一人、うなだれた心を慰めてくれる者もなく残されたとしたら、僕にとり致命的な打撃だったろう。現在、僕にとり、君ほどいとしい者はこの世にいない。僕の父や母さえ、君ほどよく僕を知っていない。僕は、君がいてくれる限り、妻はいらない。君の祈り、君のすすめ、君の慰めは、僕がこの世で手に入れ得るすべてのものよりも貴い。今この時、君を札幌へ送ることは、君のお母さんや君の「愛する者」にとり大変辛いことだろうが、僕にとっては一層辛い。願わくは神、太田がクリスチャンとなって、ただに僕の最も貴い地上の友たるだけでなく僕のために一人の慰めの天使となってくれる時まで、君を留めおきたまわんことを。太田のキリスト教への復帰は僕の日毎の祈りである。願わくは、また、君の祈りたまわんことを!われわれでクリスチャン三人組をつくろうではないか。やさしいヨハネ〔宮部〕、そそっかしいペテロ〔内村〕、それから一度は疑いながらも大胆な断々乎たるパウロ〔新渡戸〕を想ってくれたまえ。画一は神のみ心ではない。右の三人は各自それぞれの欠陥と長所を持ちながらもー使徒らの中の三脚ではなかったのか。われわれ三人も彼らのように行動し得ないだろうか。われらもサー・ジョン・ハーシェルの友人たちがしたように、われらの肩を世界という車にあてがって、それを、われわれがそれを発見した時よりも、いっそう善い状態になし得ないだろうか。しかし、やめよ!われわれは、自身、これをなし得ず、かつ僕としては、ペテロの役割に当ることはほとんど望みがない。しかし、神もし許したまわば、これがわれらの野心たらんことを。宮部よ、君の研究にしっかと立ってくれたまえ。太田よ、君の心をキリストに向けて開いてくれたまえ。-僕自身よ、-なんじの弱き肉体に注意せよ。そして一同よ、み霊を消すなかれ、預言をさげすむなかれ、すべてのことを証せよ。

〔略:次にジョウダン。津田仙と一緒に旅行した。彼はフンドシを忘れた。彼は「天道朔源」を持ってきて人力車で大声で読んだ。対抗する人力車の人々が噴出すので振り返ると彼は『あるもの』を見せていた、「これはかなり善いジョウダンである」〕

 できるだけ早く帰るつもりである。少し快く、今後二週間も滞在すれば非常によくなると思う。余り退屈なのでこんな長い手紙を書いた。今度は返事に及ばない。

          キリストにありて君の

                  ヨナタン・内村鑑三

 

 






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最終更新日  2012年11月03日 06時16分17秒
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