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カテゴリ:広井勇&八田與一
札幌農学校の3兄弟と広井勇 プロローグ(試み) 「二宮尊徳の会」では、2010年に「日本近代製糖業の父 台湾製糖株式会社 鈴木藤三郎」、2011年に「報徳産業革命の人 鈴木藤三郎の一生」を出版した。 鈴木藤三郎の足跡を求めて、台湾の高雄にある台湾製糖会社と工場跡も訪問した。現在でこそ、日本で産業遺跡は見直されつつあるが、台湾では当時の巨大な製糖工場、装置をそのまま保存していることにまず驚かされた。また、現地の糖業博物館では児玉源太郎台湾総督、・後藤新平、新渡戸稲造と並んで日本では忘れられている砂糖王鈴木藤三郎が、顕彰されていることに深い感銘を受けた。鈴木藤三郎が製糖会社の従業員の安全を祈って建立した観世音菩薩像は、「黒銅百年守護観音」として今でも盛大なお祭りまであることにも感動した。 台湾の鈴木藤三郎のことを調べるうち、台湾の人々から敬愛されている日本の土木技術者八田與一を知った。烏頭山ダムを造り、広大な台南の荒地を豊かな穀倉地帯とした技術者である。現地の人々を大事にし、現在も敬愛を受けるその人と事業の高貴性(ノブレス)に関心を抱いて調べていくと、どうも東京帝国大学工学部時代の恩師広井勇に由来するように思われた。広井教授のもとで同じく学んだ、静岡県磐田市出身の青山士(あきら)は、パナマ運河の建設に従事し、また信濃川の堰の改修にもたずさわり、その記念碑には「人類のため」と日本語とエスペラント語で刻んである。広井勇は札幌農学校の出身で、内村鑑三・新渡戸稲造と同じ第二期生である。 内村鑑三といえば、「代表的日本人」で二宮尊徳を「農業聖人」としてとりあげ、また「後世への最大遺物」の中では、「この人は事業の贈物にあらずして生涯の贈物を遺した」と、おそらくは二宮尊徳を最も深く理解した「日本の生んだ天才の一人」(宮部金吾の言葉)である。 また、鈴木藤三郎の理解者であった留岡幸助は新島襄の同志社で学んだクリスチャンである。藤三郎が日本醤油株式会社社長を退いたとき、「英国のクロムウェルは、多年奸雄ときまっておったが、カーライルが出て、その雄勁な筆をふるって、クロムウェルは千古の大忠臣で、真に国家のためにその身の毀誉をかえりみなかった」と藤三郎を励ました。 イギリスのピューリタニズムは、ピルグリム・ファーザーらによってアメリカのニュー・イングランドに伝わり、そのキリスト教はアマースト大学に学んだ新島襄によって日本にもたらされ、また同じくアマスト大学出身のクラークによって札幌農学校に移植された。そして、このピューリタニズムは報徳思想とその道徳性の高さにおいて共鳴している。そのことは内村鑑三の二宮尊徳理解や留岡幸助が藤三郎に同志的に共感していることでもみることができる。 本書はこの札幌農学校の「Boys be ambitious」を体現した内村鑑三・新渡戸稲造を中心とした魂の交流を、「クロムウェルの手紙と演説」(クロムウェル伝)にならって、編年体で収録しようという試みである。内村鑑三など専門的な研究は進んでいるが、札幌農学校第二期生を代表する若者の魂の交流の記録として整理しておくことも無駄ではあるまい。「札幌三人組(宮部金吾・内村鑑三・新渡戸稲造)と広井勇」の手紙はほとんどすべて英文で書かれている。当時の札幌農学校のレベルの高さ、国際性がうかがわれる。また同時にキリスト教的な友愛は、当時の日本語では表現しづらかったのかもしれない。内村鑑三はこうした英文による、おそらく日本人の中でもその量と質において傑出した高さを誇る膨大な手紙を書く中で、自らの考えを作り上げていったと思われる。内村鑑三は、宮沢賢治とともに、近代日本語(それは日本語に高貴性をもたらした)の創出にも大きく寄与していると考える。まずは札幌農学校に入学するまでを概説してみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年11月07日 05時09分48秒
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