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2013年02月16日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
 

クラーク精神(Clarkii Spirit

1クラークの"Boys be ambitious"の現実化の秘密

 「ボーイズ ビー アンビシャス」を広く世に広めたのは、札幌農学校第1期生で、卒業後、札幌独立キリスト教会の初代牧師で母校の教師ともなった大島正健である。大島は後に甲府中学校校長となり、多くの人材を世に送り出した。石橋湛山もその一人である。「クラーク先生とその弟子たち」(大島正健)は病床の正健の口述を長子正満がまとめ、昭和12年帝国教育会出版部から出版された。「初版の辞」に「明治9年札幌農学校を創立するために、遠く米国からウィリアム・エス・クラーク博士が来朝されてから今年で早や六十年の歳月が流れ去った。かの島松の駅頭、熱誠をこめて教化された愛弟子達のために残された、"Boys be ambitious!"の一語は、わが国の青年子弟に深く印象を残し、その弟子等を通してわが国文化の進運に貢献せられた先生の偉業は末永くその薫りを留めている」とある。なぜ、伝道師でもないアメリカの教師が日本にキリスト教を伝道したのか?クラークはキリスト教信仰を持った人こそが北海道の開発に大きく貢献できると確信していた。なぜクラークの考えが札幌農学校、北海道だけでなく日本全国に影響を及ぼしたのか?その大きな要因は、内村鑑三・新渡戸稲造といった第二期生を中心とした人々が日本の思想・教育・技術界に絶大な影響をもたらしたからである。彼らの偉大な功績が明らかになるともにクラークの"Boys be ambitious!"が注目を浴び、世に流布するようになった。クラークの言葉と考えは、一体どのように現実化していったのか?不思議なことにこれは一期、二期生の一部生徒に顕著な出来事であり、その後の三期・四期生では、彼等のように日本さらには世界的に活躍し後世に影響を及ぼす人々はほとんど輩出しなかった。

 マックス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、近代資本主義の成立に当り、プロテスタンティズムの倫理が大きな役割を果たしたと論証した。カルヴァン派の予定説(神はその栄光を顕わすため、人々を「永遠の生命」と「永遠の死滅」に予定した)は、バニアンの「天路歴程」の冒頭で、クリスチャンが「生命を、永遠の生命を!」と叫びながら滅亡の町から巡礼へと走り行く姿のような、ピューリタン信徒の感情を生み出した。彼らは自らの救済を確信するため、世俗の職業労働を天職(英語calling)と見、救いを確信するための最良の手段と考えた。このピューリタニズムの人生観は、市民的な、経済的に合理的な生活態度へ向かう傾向をもった担い手を生み出した。全ては神の栄光を顕わすためとし、職業を神からの「召命」とするこの心理的起動力は、労働と産業活動を神に対する義務と考える。人が勤勉であり、節制すれば、結果において事業が成功し、富裕になる。富による高ぶりや現世の欲望や生活の見栄を防ぐためには、得られた利益を再投資する必要があり、するとますます富んでくる。富めば誘惑が増えるという悪循環に陥る。これを防ぐためには、強い自制心と共に富をできるかぎり他に与えねばならない。この英・米のピューリタンの心情が生み出した「常に自己の良心に忠実な者」「志が大きく、目前の小欲に奪われ悪事を行ったり、怠惰、粗暴等であり得るわけがない」類型こそgentlemanにほかならない。だから、クラークは校則に代って、"Be gentleman!"を札幌農学校の生徒に与えた。札幌三人組(宮部金吾・内村鑑三・新渡戸稲造)はセクトのように手紙をやり取りし交友するなかでその精神を鍛え続け、広井勇は常に自らの心に問いながら土木工学の場で実践し続けた。「イエスを信ずる者の契約」でピューリタニズムを受容し、五十年に及ぶ魂(soul)の交流を続けた札幌農学校の人々は、いわば日本における「カーライルが"the last of our heroism"(最後の英雄主義)といった・・・・空前絶後ともいうべき英雄的行動を示し」、日本近代化の貢献者となった。これが"Boys be ambitious!"現実化の秘密にほかならない。

 

 

キリスト教の伝道師として見たるウィリアム・S・クラーク先生  

 

 

クラーク先生が北海道の札幌において、キリスト教の伝道上、大効果を挙げたという事は、実に大なる不思議であります。先生の故国において、先生をよく知りし者は、先生よりかかる事を決して望みませんでした。先生が誠実なるキリスト信者でありしことは、よく知れわたりました。しかし宗教は先生の本領ではありませんでした。先生は始めに鉱物学者でありました。後に植物学者でした。事業家でありました。勇敢なる軍人でありました。この人が伝道上の功績を挙げようとは、先生の知人、友人は少しも期待しませんでした。ゆえに先生が札幌において、身は日本政府の御雇い教師にありしにかかわらず、職業的宣教師がとてもなすあたわざる伝道的事績を挙げたと聞いて、先生を知る者はみな驚いて言うたのであります。『なんだ、あのクラークが』と。私は故新島襄君が同一の語気をもって先生について語るのを聞きました。先生の伝道上の事業は今になお、宣教師間に解しがたき不可思議の一としてのこるのであります。この天然学者が、軍人が、実業教育家が、日本に上陸するや否や、直ちに聖書会社に行いて、五十冊の英語聖書を買い求めたりというがごとき、開拓使長官黒田清隆公に倫理教育の方針を問われし時に、「余の道徳と言えばキリスト教である。余に倫理道徳を教えようと言うならば、キリスト教を教うるよりほかにみちがない。余にもしキリスト教を教うるなかれと言うならば、倫理を教えよと命ずるなかれ」と断言せしがごとく、そしてついに内密の許可を得て学生間に伝道を開始せしや、札幌在留八ヶ月間、一日も怠らざりしがごとき、実に大伝道者のなすことであって、かかる大胆なる信仰の証明は、世界の伝道史上、ただまれに聞くところであります。そしてこの勇敢なる証明が報いられて、彼は僅々八ヵ月にして、日本の国土に深くキリストの福音を植え付くるの器と成ったのであります。ここに宣教師ならざる一平信徒が、宣教師も及ばざる事蹟を挙げたのであります。実に大なる不思議であります。

 

そしてクラーク先生がよくこの事を知っておられました。前に掲げし聖書の一句が、先生の特愛の聖句でありました。「これ主のなしたまえる事にして、われらの目に不思議とするところなり」と。先生も、自身のなされし事に驚いたのであります。日本においてかかる事をなし得ようとは、先生自身が期待しなかったと思います。私は思います、先生を運びし汽船が太平洋を横断して日本の岸に近づきし時に、先生は急に伝道心を起こしたのであろうと。不思議なる能力が先生に加わり、先生を駆って有力なる伝道師となしたのであろうと。先生の場合においても、多くの他の偉人の場合におけるがごとくに、

 彼は彼の計画以上に築き上げたり

との言が事実となりて現われたのであると信じます。ゆえに、事成りて後に、うしろを顧みて、先生もまた言うたに相違ありません。

(略)

 この事が何を示すかというに、神が信仰を起こさんと欲したもう時に必ずしも教会または教職に由りたまわないということを示します。キリスト教の歴史において、今日まで幾たびも繰り返された事実であります。教職ならぬ者が教職以上の功績を挙げたのであります。預言者アモス、使徒パウロ、詩人ミルトン、貴族トルストイ、これらはその著しき例であります。そして日本国の伝道史上においても同じ事がおこなわれたのであります。日本国のキリスト教は主として職業的宣教師に由らず、平信徒に由りて、しかも日本人招聘の外国平信徒に由りて行われたということは、実に感謝すべきであります。ゆえに、これは直ちに神より賜わりし日本人のキリスト教であります。その点において、日本はシナ、インドと違います。シナ、インドのキリスト教は外国宣教師に由りて伝えられ、彼らに由りて維持せらるるキリスト教であります。ゆえに、もし宣教師が皆、今日直ちに日本を引き上ぐるとも、日本におけるキリスト教は滅びません。そは、これ日本人のキリスト教であるがゆえであります。

 日本におけるキリスト教の歴史を考えて見ますると、実に不思議に堪えません。神は思いがけなき時と所とに、思いがけなき人を送りて、教会の臭味なき福音を伝えしめたまいました。日本は昔より特別の国でありまして、そのキリスト教歴史もまた特別であります。そしてこれただに日本のためにのみしかるのではありません。世界人類のためにしかるのであります。神は日本をもって世界に彼のみこころをおこなわんと欲したもうがゆえに、特別の摂理の下に日本を置きたもうたのであると信じます。それゆえに私どもは、どんな事が臨んでも、日本について失望しないのであります。日本の今日に悲観すべき事が多くあります。政治の腐敗、思想の悪化、宗教の混乱、いずれも悲観の材料たらざるはありません。されども神はいましたまいます。クラーク先生を札幌に送りし神は、また、適当なる時と所とに適当なる人をつかわし、また起こしたまいて、日本にかかわるその善き聖意をおこないたもうと信じます。

 そして私ごとき者もまた、神のその聖意の一部分をおこなわんがために彼に使わるるにすぎません。私はクラーク先生の遺されし福音に接して初めて信仰を起こしたものですが、しかしクラーク先生の直弟子ではありません。私は米国において先生を二、三回、その家におとないましたが、先生と私とは師弟の関係に入らずして終わりました。しかるに神の聖意に由り、私が、先生の伝えし福音も最も広く日本に伝うるの役目を務むるに至りました。先生は私以上の多くの善き弟子を日本において持たれました。そして、そのいずれもが立派なる人物でありまして、それぞれの専門をもって、わが国の文化に多大の貢献をなしました。しかるに聖書知識の普及、福音伝播の職務は不肖私の上に落ちました。これは私が自ら進んで選んだ職務ではありません。やむを得ざるに出でたのであります。・・・先生の場合におけるがごとくに、私の場合において、やむを得ないのであります。神に余儀なくせられたのであります。内外の事情が、私をしてこの任に当たるべくなさしめたのであります。私もまたパウロのごとく、キリストに捕えられたのであります。

 伝道上のこの事実をわきまえずして、伝道師の動機いかん、人物の大小を批評する者は、正当の批評をなし得ないにきまっています。「なんだ、あのクラークが」、「なんだ、あのジェームスが」、「なんだ、あの内村が、きゃつに何ができるものか」。しかり、「きゃつ」に何もでき得ない。されども神が「彼」を使いたもう時には、どんなえらい事でもできる。パウロ何者ぞ。クラーク何者ぞ。ジェームス何者ぞ。ただ神の器である。そして神に使われて、土器も金銀の器具のなすあたわざる事ができる。ここにおいてか伝道の事について伝道者の人物を批評するがごとき愚かなる事のないことがわかります。クラーク先生の名誉は、喜んで神に使われて、その命を果たしたにとどまります。そして人類の名誉として実はこれ以上の名誉はありません。家造りの捨てたる石は家の隅のかしら石となれり。これ主のなしたまえる事にして不思議でありません。神はかくのごとくにして、常に世を救いたもうのであります。






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最終更新日  2013年02月16日 11時17分08秒
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