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2013年02月17日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
9 内村鑑三「クラーク先生を語る」
札幌農学校の二期生が札幌に到着した時、クラークは既に本国に去っていた。
岩崎行親は「クラーク先生は写真で見ただけである」と宮部に語ったが、内村鑑三はアマスト大学留学時に、クラークと会った。
「キリスト教の伝道師として見たるウィリアム・S・クラーク先生」(資料2)で、「クラーク先生が北海道の札幌において、キリスト教の伝道上、大効果を挙げたという事は、実に大なる不思議であります。」と述べる。
鉱物学者、植物学者であり、また軍人でもあったクラークがなぜ伝道上の功績を挙げた」のか、「先生が札幌において、身は日本政府の御雇い教師にありしにかかわらず、職業的宣教師がとてもなすあたわざる伝道的事績を挙げたと聞いて、先生を知る者はみな驚いて言うたのであります。『なんだ、あのクラークが』と。私は故新島襄君が同一の語気をもって先生について語るのを聞きました。」
内村が本書でクラークが「日本に上陸するや否や、直ちに聖書会社に行いて、五十冊の英語聖書を買い求めた」というのは誤りであり、クラークが妻にあてた手紙には「ギュリック博士が私を訪ねてきて、私に札幌の生徒用にと英語聖書三十冊を呉れました。彼はアメリカ聖書教会の中国と日本担当の代理人です。」(「クラークの一年」太田雄三著p63)とある。
内村は、クラークが「開拓使長官黒田清隆公に倫理教育の方針を問われし時に、『余の道徳と言えばキリスト教である。余に倫理道徳を教えようと言うならば、キリスト教を教うるよりほかに途がない。余にもしキリスト教を教うるなかれと言うならば、倫理を教えよと命ずるなかれ』と断言せしごとく、そしてついに内密の許可を得て学生間に伝道を開始せしや、札幌在留八ヶ月間、一日も怠らざりしがごとき、実に大伝道者のなすことであって、かかる大胆なる信仰の証明は、世界の伝道史上、ただまれに聞くところであります。そしてこの勇敢なる証明が報いられて、彼は僅々八ヵ月にして、日本の国土に深くキリストの福音を植え付くるの器と成ったのであります。」とクラークの業績を賞賛する。
また内村鑑三「黒田清隆伯逝く」では、玄武丸での対話を記し、その劇的なシーンは有名となった。
「船中、談直ちに学生の徳育問題に入る。クラーク氏は彼の確信を述べていわく、『余の知るところをもってすれば、彼らに聖書を教うるのほか、彼らを徳化するの途あるなし』と。長官、襟を正しゅうしていわく『これ余の賛同するあたわざるところなり。わが国に儒教あり、神道あり。なんぞ必ずしも外教を用うるの要あらん。君、余輩の学生に教うるも倫理を授くるも可なり。されども彼らにヤソ教の聖書を教えるに至りては、余は堅くこれを謝絶せざるを得ず』と。クラーク氏は答えていわく『もし、しからば、余は道徳を教えざるのみ。余の道徳はすべて聖書の中に存す。聖書を離れて、余は道徳を教うるあたわず』と。伯は日本陸軍の中将、クラーク氏は米国陸軍の大佐なり。二雄その説を固持して相対す」。
これも玄武丸の船中ではなく、クラークの弟への手紙によると、八月七日から十一日の間のクラークと黒田の石狩川を上る旅行中である。(前書p135)

「開校の時期は迫りぬ。しかして二者いずれか一歩を譲らざるべからず。伯、クラーク氏に面していわく、『君ついに君の意を曲げず。余はいかんともするあたわず。余は君に告げんと欲す、余は君に聖書を学生に授くるの許可を与えんと欲すと。ただ君、願わくはあまり公然にこれをなすなかれ』と。大佐は答えていわく、『君に謝す。余は明日より倫理を余の学生に構ずべし』と。これ北海道札幌におけるキリスト教の濫觴なりとす。」・・・クラーク氏を、余は彼の米国アマストのホームにおいて三、四回、訪問せり。・・・彼は余がアマスト在留中、この世を去れり。しかして彼の牧師なりしジッキンソンといえる人は、余に直接語りて言えり。『余はクラーク氏の死の床に臨めり。しかして彼は余に幾たびか告げていわく、余の生涯の事業にして一として誇るに足るべきものあるなし。ただ日本札幌における八ヶ月間のキリスト教伝播こそ、余が今日死に就かんとする際、余を慰むるに足るの唯一の事業なれと。君、願わくはこの事を君の本国に伝えよ』と。」(「聖書之研究」)


札幌農学校における聖書使用の許可(北大百年史p265-267)                                   
Capt. Wm. B. Churchill;              Sapporo,1st Nov.19, 1876.
 My dear Brother: ・・・Tomorrow morning I propose to begin the College Exercises by reading from the Bible and repeating with the students the Lord’s Prayer. Today they could all repeat correctly the first seventeen verses of the 20th chapter of Exodus. Thus in the Sapporo Agricultural college the Bible has become a textbook, though forbidden by law in all schools and Colleges under the control of the Japanese government.・・・While traveling with him last summer I conversed with him freely about religion and finally asked leave to use the Bible in the College. He answered that personally he had no objection, but he must forbid it on account of the law and the opinions of the high officials. ・・・He said I could teach its truths to the students, but must not read it publicly nor give them copies for private use. I answered that I was very sorry, for I had thirdly copies, but that I would obey orders. About a month after this he set for me and wished me to teach the students good morals, I replied I could not without constant reference to the Bible and I feared I should give offence. The next day he told me he would withdraw his prohibition in regard to the Bible and I could do as I chose. So I decided to distribute the books and make them useful.・・・
Most truly, Your affect, Brother,    W.S.Clark







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最終更新日  2013年02月17日 16時59分46秒
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