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2014年03月09日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
余の尊敬する人 新渡戸博士   矢内原忠雄
   一 入学式演説
 新渡戸博士は私の親しく教えを受けた恩師でありますから、本書でも先生と呼ぶことを許していただきます。内村鑑三と新渡戸稲造は私の二人の恩師で、内村先生よりは神を、新渡戸先生よりは人を学びました。両先生は明治初年札幌農学校で同級の親友でありましたから、その意味でも私は札幌の子であります。しかして両先生を教育した台風を札幌農学校に残したるウィリアム・S・クラークは米国南北戦争の時、リンカーンの下に北軍に従軍した陸軍大佐でありました。
(略)
先生自身少年時代東京英語学校に学んでいた際、卒業を前にして将来の進路を定めるに当たり、多くの者は東京大学に進んで法律政治を学び、官界に飛躍することを夢見た中にありまして、先生等数名は日本を開くには実学が必要であると感じて、札幌農学校の生徒募集に応じたのでありました。先生等が札幌に行った時には、クラークはすでに本国に帰った後でしたが、彼の残した、有名な、「少年よ、大志を抱け」Boys be ambitious!!という言葉が、語り継がれたに違いありません。先生は札幌農学校卒業後、更に学問を続けたく思って、東京大学文学部に入学しました。その時「何のために英文学をやるか」と聞かれて、「太平洋の橋になりたいと思います」と答えたことは、周知の逸話です。要するに青年が学問するには、何の目的も立てず、ただ漠然と惰性的に学校に入って学校を出るというのではいけない。また目的を立てるにしても、自分の立身出世というような事であってはいけない。何か世のため国のために尽くす志を立てて勉強しなければならぬ。そこで先生が一高の入学式演説で、天災予防というすこぶる地味な、しかしながら永久的効果ある重要なる事業のために生涯を献げる者が、この一千人の中から出ないだろうかと呼びかけたのは、先生自身の少年時代の立志と思い合わせて、極めて暗示的な話でありました。生徒自身の中にひそんでいる志望と能力とを抽き出す者が真の教育者であるとすれば、教育者としての先生の精神と態度とはここによく現れているのであります。先生もこういう問題だけについて語っていたならば、世の批難を蒙ることも少なくあったでしょう。
 その後日本国民は他民族他国民と生活を共にし、密接な交渉を持つようになって、彼らの尊敬と信頼とを受けるに値するものとなっているでしょうか。日本国民の中には、専門家は養成されたけれども、人間は乏しいのではありませんか。日本国民が大陸に発展する時がきても国際心の涵養が怠られてあり、人間としての教養に乏しいことが意識されるのを見ると、先覚者としての新渡戸博士が一層偲ばれます。
 三 新渡戸博士の教育精神
 先生の教育上の思想は人格観念に基づく平民主義であります。それが「社交主義」ともなり、「国際心」ともなって現れたのであると思います。
 先生の教育者としての態度も、特色あるものでありました。一言にすれば、それはすこぶる人間的なものであって、およそ官僚的たることよりも最も遠いものでありました。
 第一に、先生はすべて強制的命令的な態度を避け、生徒の自発的覚醒を促す態度を取りました。従って先生の講義や演説は微に入り細をうがつ式の組織だったものではなく、むしろ暗示的誘導的のものでありました。
 第二に先生はつとめて平易卑近の用語や引例を用い、民衆の近づきやすいように話されました。これは通俗的であるとの非難を冒して、先生の意識的に実行したところでありました。
 第三に、先生は世間の批難や誤解を招くを怖れず、淡泊に何でも話されました。先生の言論が世間から誤解や批難を蒙ったことは実にたびたびでありまして、一生涯つきまとったのであります。なぜ先生はこんなに誤解を受けたのでしょうか。先生が日本語の表現をよく知らなかったということもあるでしょう。不注意に何でも談話するという、口の軽い癖もありました。しかし「口が軽い」と批難せられたその事の中にも、先生の意識的な生活態度があったのです。何でもつつまず平易に話してやれば、語る先生自身は深みのない浅薄な人間だと思われても、聴く者にはよく話がのみこめるだろう。この平民主義の親切心から、先生の多弁は出たのであると思います。





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最終更新日  2014年03月09日 09時06分02秒
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