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2014年09月13日
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【二】国家の盛衰安全は譲奪に在るを論ず
問う。先生の道は推譲をもって主と為すとはどういうことか。
答え。人として一日も推譲がなければ、人倫の道が立たないからである。
問う。人の世は五倫五常礼楽刑政で立つ。どうして推譲だけを主とするのか。
答え。五倫五常も推譲でなければ行われない。礼楽刑政も推譲によって行われる。推譲がなければ掠奪や闘争や混乱が生ずる。
推譲は人の道であり、争奪は禽獣の行いである。上古、神聖がおこらず、人道が立たない時、人は鳥や獣と違いは少なかった。禽獣は、終日飛び走り、食を求め、生を養うだけである。父子も父子の親しみなく、夫婦も夫婦の別なく、兄弟も長幼の序なく、朋友の信がなく、また君臣の道がない。だから年老いて飛び走ることができず、他に害せられても、救助する行いがなく、病気に苦しんでも、かつてこれを哀れみその病を治するの心がない。専ら自分の腹を養うだけだった。食を争い、強きは弱きを倒し、闘い奪い、少しも譲る心はない。朝から夕方まで求める所は食だけで、貯蓄の配慮はない。だから生涯、食が足らない。かつ他が自分を害し、食となることを恐れ、常に憂苦を懐き、年中一刻も安らかな時がない。人として禽獣の行いを免れなければ、掠奪・残害・憂苦・痛嘆がやまない。
天照大神は、人民の浅ましい困苦を深く嘆かれて、推譲の道をもって、豊葦原を開き、安国(やすくに)と平定された。その初め、数頃の田を開き、秋の実りを来年に譲って開墾し、年々歳々推し譲り、原野は開田となり、限りない穀物や器財を生じ、終に豊穣安楽の土地となったのは推譲のいたす所である。万民が飢えずこごえず、衣食が足り、その後に仁義五倫の道を教えられた。だから民は川の流れが海に帰するように教えに従う。君臣義あり、父子親あり、兄弟序あり、夫婦別あり、朋友信あり、掠奪や貪りの風が一変し、推譲の道が行われた。君は臣に譲り臣は君に譲り、父は子に譲り子は父に譲り、兄弟譲り、夫婦譲り、朋友譲り、礼儀正しく、貴賎が和睦し、生産物は豊かに、貯蓄に余りあり、家々足り、戸々給し、士農工商それぞれその業を勤め、生活を楽しみ、災害貧困の苦がない。昔、掠奪して一日も安息を得なかったのが、今は推譲により幸福安楽の民となる、大なるかな譲りの道は。そうであれば国を富まし民を安んずる道において、推譲に加えるものがあろうか。ひとり我が国だけが推譲の道で開けたのではない。およそ万国の興廃も皆同様である。
国家の安富・尊栄・豊穣・治平は譲より起こり、衰廃・争闘・災害・危亡は奪より起こる。
はっきりと見るがよい。何を疑い何を惑うことがあろうか。けだし人が人であるゆえんは、推譲の道があるためである。推譲の道がなければ禽獣に異なろうか。禽獣には譲道はない。だから生じて以来幾万年たっても、豊かになり安らかになることができない。人は万物の長であり、永く富み安らかに栄え、患害危亡の憂いがないのは、神聖が譲道を立て万世を安んじられたためである。人である者が譲道が貴いことを忘れてよかろうか。現在の人情は度をこえた贅沢を好み、遊惰に流れ、治乱・盛衰・存亡・禍福・吉凶・貧富・栄辱は譲と奪の二つにあることを忘れ、目前の利にはしり、他に奪うを益とし、譲るを損とし、日々に富裕を欲し貧困が増し、月々に福を求めて禍いを招き、年々安栄を求めて危亡に陥るものは、イヌ稗(びえ)を蒔いて稲の実りを待つようなもので、努力しても実るものはイヌ稗である。稲を求めるならどうして稲を蒔かないのか。富裕安栄を欲するならどうして譲道を行わないのか。天下国家の治乱盛衰は譲道によらないものはない。推譲は万物が増し豊かになる道である。掠奪は万物が減じ亡びる道である。試みに譬えると、米が一俵あるとする。直ちに食べれば、わずかに数日の食のみ。一俵尽きた後はまた一粒の得るものはなく、飢渇死亡の憂いを免れない。もしこれを譲って土中に蒔くならば数十俵となり、また譲って蒔けば数百俵となり、年々このように譲るならば数万の米を生ずる。また一家の内、父が子に譲るを慈という。子が父に譲るを孝という。兄が弟に譲るを良といい、弟が兄に譲るを悌という。夫が妻に譲るを義といい、妻が夫に譲るを聴という。一家は和睦し、財豊かで安らかである。もし父子が互いに奪い、兄弟が奪い、夫婦が奪うなら怒りと怨みが起こり、一家破滅の禍いとなる。一家ですらこのようだ。国や天下はなおさらだ。人君は自ら分を引き去って有余を生じ、これを譲って四民を恵み、仁政を下すならば、誰が喜んで服しないものがあろうか。
鳥獣は奪うために食が足らず。人道は譲るために衣食が豊かである。今、人が譲道を棄てて身の幸福を滅し、奪って鳥獣の行いに陥るものは嘆くべきである。
私は幼いときから人が禽獣に異なるのは、譲道にあることを察し、既に五十有余年専ら譲って怠らない。廃村を興して富ませ、衰国を再盛し百姓を育て安んじ、上下の憂苦を除いてきたのも他でもない。この譲道を主として行ったためである。天下国家の治平は譲道にあり、衰廃危亡は奪道にある。開闢より現在に至るまで、このようである。後世幾万年たっても、またまたこのようである。





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最終更新日  2014年09月14日 03時44分27秒



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