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2014年10月12日
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4 青木村治蹟を読む―現代語訳の試み―
「報徳本教・青木村治蹟」は中央報徳会の機関誌「斯民」に連載されたもので、「本編は二宮尊徳の高弟の一人である故小田又蔵氏が同翁の治績を漢語で記したものである。今広く世に示すことの甚だ有益であることを認め、本会より特別に吉本襄氏に委託して和訳し、ここに掲げることとした」とある。
小田又蔵については、『報徳の森』の「報徳学社徒小田又蔵」に詳しい。この中で『青木村復興記事』が前文と本文一三章、付録とあり、本集の『青木村治蹟』と同様である。又蔵の「先生の無類の大道を書き残し、万代の亀鑑にしたい」という仕法事績の漢文化は弘化三年に始まり、四月二一日又蔵宅を訪れた富田は仕上がった分を見て「至極ノ文体」と感嘆した(『報徳の森』p.142)。「本教」は一、里居、二、小田原、三、物井、四、青木の構想があった(『報徳の庭』p.113に佐々井典比古氏が『報徳学本教第四』の完全な写本を古橋懐古館で発見したとある。)
「青木村治蹟」は「斯民」の創刊号(明治三九年四月二三日)に載り、第二編第一一号(明治四一年二月七日)の「青木村治蹟(九)完」まで都合九回にわたって掲載された。原文は漢語で、著者は幕府の役人で尊徳先生の門人となった小田又蔵である。当時江戸で尊徳先生の事績を漢語で整理し、当時の教養人にその偉大さを理解してもらおうという試みがあった。その一環である。当時の教養階級の上級武士がどのように先生の報徳思想を受け止め、どう理解させようとしていたかが分る。『青木村治蹟』の原文は漢文で読み下しでも難解である。漢文は当時の知的権威の表われで、現代では理解し難いのだが、当時の教養階層は漢文の方が理解しやすかったのだ。『青木村治蹟』で丈八が説く尊徳の所説は小田氏が儒学に則り整理したものであろうが、二宮翁夜話などに見ない格調の高さ、論の壮大さを感じさせる。
「天地は物に私せず仁者は公を以て心と為す。博く施し衆を救ふ能はざるは是堯舜の病めりし所にあらずや。天下に飢ゆる者あるは己れ之を飢やすに由るとは是豈禹稷[禹王と后稷(こうしょく)]の心にあらずや。二宮氏の人と為り堯舜の心ありて禹稷の業ある者なり。鶏鳴て起き孜々として善を為し将に以て国家の恩に報ひ天地の徳に答へんとす」
 二宮尊徳には中国古代の聖王、堯・舜の心があり、黄河治水の禹王、農業の神で周王朝の創始者后稷の事業にも匹敵するとする。
「二宮氏の法とる所は、天なり地なり仁なり公なり。健にして息まざるは天の如く柔以て物を養ふは地に似たり。広く人を救ふは仁に非ずや。独り利せざるは公にあらずや。此れ物に親疎なく遠近なき也。且夫れ天地は母銭なり陰陽は之を貸す者なり万物は利得なり。天地は和気を物に貸して其の生を遂げしむ。既に貸して債を責めず既に遂げしめて利息を収めず。(略)雨露の潤は天之を貸すなり。水土の養は地之を仮すなり。而も百穀熟して一粒を収めず、万物育して一品を利せず。語に曰く、惟天を大と為す、唯堯之れに則ると、二宮氏の則る所亦是のみ」
二宮尊徳の無利息金貸付などの仕法の考えは天地に則っており、仁であり公であるとして、当時の武士教養層の精神に訴える。
「吾が道は、醜に似たれども醜中に美を孕めり。吾が法は穢に似たれども穢裡に潔を蘊めり。これを名づけて道圃と云ふ。何を以て之を云ふ。人の屎尿馬矢牛骨は固より或は酒糟或は醤粕若くは腐艸若くは杉葉昔人の以て醜穢と為す物に非ずや。這般不清潔の物を用ゐて田畝を培養し以て穀粟菜果等清潔の物を産す。吾が教の道は実に此に胚胎す。」
尊徳は、我が道は、醜中に美をはらみ、腐穢のうちに潔をたくわえるという。人や馬の便や酒かす醤油かす、落ち葉などで田畑を培養し、穀物や野菜を生じさせる。私の教えは実にここに生まれると説く。
また、青木村の民に「一日の生をぬすみ、父祖の至情にそむくことは何と痛ましいことではないか」と訴える。尊徳先生自ら、現代の私たちに切々と説諭されているかのようである。「一日の生をぬすみ、父祖の至情にそむくな」「協力し精出して農業(仕事)に励めよ、それが孝であり仁である」と。
「汝等その屋舎を視よ汝等の祖汝等の父が瘠土を闢(ひら)き生産を営み千辛万苦して汝等子孫の為めに計を貽(のこ)し汝等をして雨露霜雪の患なく安居棲息して以て生活し得せしめし者皆その膏血(こうけつ)の致す所にあらずや。然るに屋は修補を加へず野は頽蕪を苅らず頽廃に任して、其の滋蔓を擅(ほしいまま)にせしむ。我は恐る汝等又他郷に出で流離患難して其の所を失はんことを。そも郷里を懐(おも)ふは人情の常なり。その他郷に寓するに当りて誰か望郷の情なきを得んや。されど歳月の久しき初念漸く薄く郷夢稍々(やや)稀になりゆき本を忘れて末に馳せ苟且(こうしょ)因循して、一日の生を偸(ぬす)み、父祖の至情に乖くこと豈痛ましからずや。今汝等情願して旧産を回復せんと欲せば須らく全村力を協せ各戸相戒め猛然精力を出し、時に及びて荒蕪を除き予め火災を防ぎ又屋宇を修理し然して後に農畝に従事すべし。これ孝にして仁なる道なり。汝等この道理を暁(さと)りその鎌を磨ぎその索(なわ)を綯(ゆ)ひ速に往きて事に就け。其の苅り取る所の茅葺(かやぶき)は我れ時価に準じて買ひ取り、それぞれ銀両を交付せん。」
尊徳は努力に報いるため、時価でカヤを買取り、青木村の屋根の葺替えに使うと提案し、怠惰の心を勤労の心に変えようとする。尊徳は教諭する。「前日の懶惰も汝等なり今日の勉強も汝等なり。一人にして其の黒白の如きは勤むると惰るとの二つにあり。善悪貧富盛衰存亡皆此の如くならざる者無し。故に富道を行へば必ず富み、貧道を行へば必ず貧し。唯(ただ)邑民行に由りて禍福吉凶の差あり。今旧来の懶惰を改め、斯の如く尽力し永く勤動を失はざれば、邑(むら)の再興何の難きことか有らんや。」
さらに青木村の遠い将来の災厄時の対策にまで及ぶ。尊徳は数百年先まで見通し、具体の対策を示す。「今汝等子孫の為に之を計るに、今後若し水害に逢ひ、田畝(でんぽ)変替して、頓(とみ)に水利を失ふ如きあらば水田を去りて、陸田に就くに如(し)かじ。(略)たとひ凶年飢饉に遭遇することあるも、必ず凍餒(とうたい)の患なかるべし。」
 最後に尊徳は「以徳報徳」で話を結ぶ。
「『徳を以て徳に報ゆ』。地に俯して穀を播けば必ず生ずるに穀を以てし、天に向て善を種うれば必ず酬ゆるに善を以てす。天地虚しく受けず。必ず之を返す。」
地に種をまけば穀物が生ずるように、天に向かって善をまけば、天は必ず善で報いると。報徳とは、天地の道理に基づくものである。
「予の孜々(しし)として、人の為にして毫も自家の損益を計らざるは、特に以て天地生々の徳に報いんとするなり。」
私(尊徳)が人のために行い、少しも自分の損益を考えないのは、天地生成の徳に報いようとするものと言う。これが報徳即ち『徳を以て徳に報ゆ』だ。人間が自分の利のためだけ生きるならそれは畜生の道である。人類のため後世のため努力し続けることが、人としての道である。岸右衛門は「報徳」は「精神変革」にほかならないことを自らの生涯で示した。
「予の方を地方に立つるや、本村を以て首となしぬ。・・・内は本村の為に恩義を達し、外は他村の為に模範を垂る。」
尊徳が仕法を他領に及ぼしたのは青木仕法が始めであり、その成功は他領の仕法の模範となる。
「願わくは青木村を、仕法を立てる模範となし、諸村をして、荒蕪を開き、負債をあがない、窮乏をたすけ、生業を起す等、青木村のごとくならしめんことを」と願う。
以下「報徳本教・青木村治蹟」の現代語訳を試みた。また本集「資料編」に吉本襄氏の「青木村治蹟」読み下し文を載せた。専門的研究には「斯民」原文を参考にされたい。
参考にされたい。





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最終更新日  2014年10月13日 03時01分53秒



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