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2015年01月25日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
札幌三人組の偕楽園の誓いとそのambitious
内村第二九信に「三人組」という表記が登場する。本来の英文の手紙では「triumvirate」と表記されている。Triumvirateを辞書で引くと、「三人の連合政治、[集合的に] 三つ組,三人組、(古代ローマの)三頭政治」とある。
 宮部、内村、新渡戸の三人は札幌農学校在学中から特に親交があり、「三人組」と呼ばれていた。卒業に際しては、札幌の偕楽園で三人で将来について誓い会ったという。新渡戸はこの誓いについて語る。「明治十四年の七月卒業式を挙げる頃、当時札幌の公園であった偕楽園の端に、宮部、内村と我輩と三人集って、社会に出るならば、いかなる事をなすべきやを、しんみりと話し合い、最も敬虔に祈って国と同胞との為に一身を捧ぐる旨を述べ合い、それぞれ進む道は異ならんも最大の目的はキリスト信徒として一生を全うすることであると述べ合った。それは四十九年前の事ではあったが、我輩の記憶には今なお昨日のごとく思わるる」(「クラーク先生詳伝」逢坂信忢p271)とある。内村はこの誓いを「生涯を二つのJ―日本とイエス―に捧げよう」と育てていくが、新渡戸にとっては「日本と日本国民のために一身を捧げよう」「キリスト信徒として一生を全うしよう」ということであり、それは「我、太平洋の橋とならん」という決意へと繋がる。宮部はこの誓いをさほど自覚的には受け止めなかったようである。新渡戸に言われて思い出す程度のものであった。宮部は札幌農学校に残り、札幌を「北のアゼンス」(Athens of The North)としようと常に言っていた。札幌を北の学術文化の中心地にしようというのである。内村は違った、北のエルサレム、つまり「キリスト教を日本化し、これをもって日本を救い、かつ日本国の世界における使命を果たさん」とし、札幌を北のキリスト教の聖地としたいと思った。それぞれの思いの違いが異なる道を行かせ、豊かに花開かせたともいえようか。
 広井勇はこの偕楽園の誓いには加わっていないが、広井の一生もまた「日本と日本国民のために一身を捧げよう」「キリスト信徒として一生を全うしよう」という誓いの実現にほかならない。内村はその告別の辞で述べた。「人は事業でありません。性格であります。人が何を為したかは神より賜りし才能によるのでありまして、彼自身でこれを定めるのでありません。・・・広井君が工学に成功したのは君が天与の才能を利用したに過ぎません。然しながら、いかなる精神をもって才能を利用せしか、人の価値はこれによって定まるのであります。世の人は事業によって人を評しますが、神と神による人とは人によって事業を評します。広井君の事業より広井君自身が偉かったのであります。広井君は君の人となりを君の天与の才能なる工学をもって現したのであります。工学は君に取り付帯性のものでありまして、君自身は君の工学以上でありました。そして我ら君の友人にとりては君の性格、君の人となり、すなわち君自身が君の工学または工業よりも遙かに貴かったのであります。・・・事業のための事業にあらず。もちろん名を挙げ利をあさるための事業にあらず『この貧乏国の民に教えを伝うる前にまず食べ物を与えん』との精神のもとに始められた事業でありました。それが故に異彩を放ち、一種独特の永久性のある事業であったのであります。広井君は今その意義ある生涯を終わりて世を去られました。・・・残るは宮部金吾君と新渡戸稲造君と私との三人であります。これを思うて淋しさにたえません。私ども五十年前に高貴(ノーブル)なる生涯を誓うて共に学窓を出でました。そして神のお導きのもとにそれぞれその誓約に叛かざりし事を感謝します。為した事業の多少上下には差はありましたが、その賤しからざりし点においてはなおどの日本人中、何人にも譲らない積もりであります」(資料15p150-4) 広井の弟子たちには、「人類のための工学」を目指した青山士や台湾で今なお敬愛される八田與一らが育っていった。





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最終更新日  2015年01月26日 00時48分35秒
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