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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
二宮尊徳の「興国安民」は「富国強兵」に対抗する反戦の論理となりえた。「報徳」は国を富まし民を安らかにする平和の思想である。
大藤修氏は『二宮尊徳』(吉川弘文堂)において「尊徳が創始した報徳仕法は、興国安民の実現をめざすものであった。それは富国強兵路線に対抗する論理、ひいては反戦の論理ともなりうる」とされ、近代の報徳運動は「そのような歴史的役割は果たさなかった。報徳思想を広めることが第一義で、その方途として時々の国家政策に迎合したきらいがある」とされている。(同書292ページ) 「水戸藩士加藤木しゅん叟」(『報徳の森』所収)で、尊徳は攘夷のため日光仕法の随行を辞そうとする加藤木に、「各自職分があり、関ヶ原の戦いの時にも検地に従事した侍がいた」と、職分を全うするよう説く。ペリーが浦賀に来た時、尊徳は「攘夷などと言わず」、それぞれの国の不足を調査し交易したほうがよいと言った。(「桜町治蹟」) 鈴木藤三郎は、「国力増進の根本策」で「我が国は開国以来施政の根本を誤っている」「見よ、古来我が国において人々の口にのぼる有名な人物は軍人、政治家、敵討ち、大盗賊である」「国家が功労を賞するは、軍人を第一とし、政治家を次とする」「ここにおいて人は皆武士たらんことを望み」「天下の人材は軍人、政治家となり」「実業界に人物の欠乏を来し」と批判した。(『日本近代製糖業の父』所収) 明治13年相馬充胤は『報徳記』と『報徳論』を明治天皇に「尊徳は興国安民の法を授け」「尊徳の実践した所は民政に参考とすべきものが少なくありません」と献上したが、『報徳論』は差し戻され、臣民の手本としての金次郎が世に流布されていく。相馬の水害の折、「異国船が来たら必死に防戦し、民を守るように、水害が来たらこれを引き受けて民の患難を除くのが為政者の任務だ」と説く(「尊徳大いに怒る」『報徳の裾野』所収)尊徳の政道論を政権は無視し、日本は強兵路線に邁進する。「報徳」は本来、平和の思想なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年06月29日 03時58分45秒
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