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2015年08月03日
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カテゴリ:イマジン


<水泳:世界選手権>◇第11日◇3日◇ロシア・カザニ◇女子200メートル個人メドレー決勝

 渡部香生子(18=JSS立石)が2分8秒45の日本新記録で、見事に銀メダルを獲得した。日本勢の銀メダルは今大会初となった。

 驚異の追い上げだった。100メートルを泳ぎ終えて8位。ここから得意の平泳ぎで逆襲だ。一気に4位に浮上した。最後は自由形で気力を振り絞った。先頭のホッスーに食い下がった。2位でフィニッシュした。電光掲示板で2位を確認した渡部は、右手でガッツポーズ。拳を何度も振った。白い歯がこぼれた。


「こんなタイムが出ると思っていなかったし、本当にうれしい。2番を取れると思っていなかった」。同種目での日本勢のメダルは五輪を含めて史上初。渡部はうれし涙で声を震わせた。

 今大会、シンクロナイズドスイミングで4個の銅メダルを獲得した日本だが、渡部が競泳陣では「メダル1号」となった。

 表彰式を終え胸に世界水泳初メダルを首にかけ喜びもひとしおだ。「タイムといい順位といい信じられない部分がある。うれしい。初めて世界水泳で取れたメダル。日本に少しでもいい流れを作りたかった。(竹村コーチにも)感謝している」。泳いだ後、泣きじゃくった姿はなく、終始“カナコ・スマイル”だった。

 前回13年バルセロナ大会では準決勝で敗退したが、2年の月日を経て世界に「ワタナベ」の名前と成長を刻み込んだ。

 金メダルはカティンカ・ホッスー(ハンガリー)で2分6秒12(世界新記録)。



北京駅から車で南へ10分ほど行くと、世界遺産の天壇公園がある。その東側には名前に「体育」の文字の入った店が目立つ。ウェア、シューズその他、スポーツ用品店が並ぶ。

 体育館路と名づけられた通りに入る。「中国国家体育総局訓練局」の看板が見えてくる。中国のナショナルトレーニングセンターである。

 門には武装警官が立っている。門の前に立つだけで鋭い一瞥をくれる。訪中までの長い交渉、それに現場での押し問答の末、ようやく許可が出て門をくぐる。認められるのは中国のメディアでもまれなことだ。

 ここで一人の日本人が生活を送っている。

 「閉鎖的と思うかもわからんけど、おかげで静かに集中して練習できる。だいたい、物事にはいい面と悪い面、両方があるものでしょ

 その人、シンクロナイズドスイミング中国代表ヘッドコーチの井村雅代は言う。

 敷地内には、大理石で作られた建物が並ぶ。それぞれに、「排球館」「体操館」と競技の名が刻まれている。競技ごとに練習施設があるのだ。立ち入ることが許されたのはごく一部分だが、それでも敷地の広大さがうかがい知れる。

 「すごいねえ。これだけの施設があったら、もっとすごい成績とれるんじゃないかと思うくらい。私の部屋は2LDKで、通訳の人と生活してます。生活に必要な備品はすべてそろっています。食堂は3つ、それぞれ競技別に分かれていて、練習時間にあわせてくれたり、プールサイドまで弁当を持ってきてくれと頼んだり、何でも対応してくれます。料理は中華ばかりですよ。でもおいしいし、地域によっては日本と似たようなものもあるじゃないですか。やっぱり金メダルを量産する施設にいるからいい食べ物が出ますよね」

 日本にいる頃と変わらない、いやそれ以上とも思える快活な口調は、中国での時間の充実ぶりを示しているようだった。

 2004年のアテネ五輪後に退任するまで日本のナショナルチームを率いて27年、五輪出場6回、得たメダルは銀3、銅7。日本のシンクロそのものだったといってよい井村雅代が中国のヘッドコーチに就任したのは'06年12月のことである。'07年3月のメルボルン世界選手権では、中国シンクロ史上最高の4位に躍進させ、いまや中国のスポーツ界から絶大な信頼を得ている。体育総局からタクシーでインタビューの場に予定していた喫茶店まで移動するときにはこんな出来事があった。タクシーの女性ドライバーが、「中国に来てくれたことに感謝しています」と笑顔を向けたのだ。

 だがここまで来るには、日本と中国、それぞれからの厳しい視線をくぐりぬけてこなければならなかった。

 まずは就任の経緯から振り返ってみたい。

井村は日本代表のヘッドコーチ退任後、自身が'85年に設立した井村シンクロクラブで指導にあたっていた。それから2年がたち、'06年9月、中国からコンタクトがあった。

 「五輪でメダルを取りたい。どうかコーチをしてほしい」

 すぐには返事ができなかった。

 中国は世界でせいぜい6、7位程度の実力。採点競技であるシンクロナイズドスイミングはたやすく順位を挙げるわけにはいかないことを考えれば3位以内までは遠い。メダルが狙えるところまで引き上げられるのか。開催国からの依頼、失敗は許されない。

 一方で、こんな思いも浮かんだ。

 日本の指導者がどんどん海外に出て行って認められれば、日本のシンクロが世界に認められることにもなるし、もう一度世界の最前線で戦い、最新の技術を身につけてクラブのコーチや選手たちに教えてやりたい。自分が引き受けなければおそらくロシアからコーチが来るだろう。今も多くの国でロシアのコーチが指導している。中国もロシア人コーチになれば、ますますロシア流の演技が主流になり、日本がロシアを倒す日はさらに遠のく。

 決心すると、その年の12月に契約。日本で約束していた仕事をこなしながら、日本と北京を往復しての指導が始まった。

 だがそれは、日本では歓迎されざる事態だった。非難めいた言葉が渦巻いた。メディアの論調しかり、水泳関係者の言葉しかり。

 こうした反応は思いもよらなかったことだった。

 「日本は海外から来てもらうことに慣れている。けれど、海外に出て行くことには慣れていないのかな、と

 実はシンクロで海外の指導にあたる日本人は井村だけではない。現在、世界の勢力図は、ロシアがトップ、2位争いを日本とスペインが繰り広げている。 '07年のメルボルン世界選手権ではスペインが銀メダル4個、銅メダル2個を獲得しメダル獲得数で日本の上に行ったことが物語るように、最大のライバルはスペインである。スペインは数年前までは5、6番手の中堅にすぎなかった。今日の位置まで登りつめた背景には、アトランタ五輪メダリストの藤木麻祐子が '03年にテクニカル面をみるコーチに就任したことが大きい。

 そのほかの国でも世界選手権ではスイス、ニュージーランドのコーチに日本人がいた。シンクロの世界では日本の指導者の世界進出はすでになされているのだ。井村の中国行きだけが大々的に扱われたのは、ひとつは井村の存在の大きさである。それとともに日中間の微妙な空気がかかわっているのは否めない。

 井村は、こんなエピソードをあげた。昨年、日本のメディアに対して一度取材が認められたことがある。ある新聞記者が、選手にこんな質問をした。

 「日本のナショナルチームのコーチだった井村氏が敵国であるあなた方を指導することをどう思うか」

 選手は即座に答えた。


井村先生はインターナショナルなコーチです。自分たちの国を教えに来てくれても何の不思議もありません

 記者の言葉の底にある意地の悪さは今も鮮明に覚えている。

 「何をしても賛成と反対があるけれど、契約してからのことは、そこまで言うか、と感じましたね。でもスポーツの世界でコーチが交流するのは当たり前のこと。自分はそういう道を選んだんだから何言われても言い訳する気もなかったですね

 日本ばかりではない。中国メディアの中にも辛辣な視線があった。

 「『あなたはメダルを取れるのか』『世界選手権に行ったらほかの国も指導するのではないか』とか。この人は日本人のことを好きじゃないんだなあ、そういう人もいるんだなあと感じましたね

 日中それぞれから、厳しい眼差しが注がれていたのである。

眼差しを劇的にかえた、世界選手権の結果。

 周囲の声はどうあれ、立ち止まるわけにはいかない。当面の目標となるのは'07年3月のメルボルン世界選手権だった。

 大会で競う相手だった頃の中国の印象は、「背が高くて手足の長い、柔らかい選手がそろっている。だけどきちんとした技術がない」だった。だが実際に指導を始めると、大きな問題に突き当たった。

 「ともかく筋肉がなかった。やりたい練習ができなかった。こうしたらよくなると分かっていてもできない。選手に、どこか故障があるか書かせて提出させたら『腰が痛い』『足が痛い』『手首が痛い』と故障のオンパレード。そりゃ筋肉ないのにやってるから当たり前だよと思いましたね」

 しかし大会は間近に迫る。信頼を得るためにも、結果を出さなければならない。大会までの時間を考えれば根本から手をつけては間に合わない。できることだけやろうと考えた。するとチーム、デュエットで4位の結果を得ることが出来た。五輪、世界選手権を通じ中国シンクロ史上最高の成績だった。

 「『最後の手の入れ方』というか、うまくうわべを取り繕っていい演技に見せることに成功したということでしょうね。何でもかんでもやって間に合わなければ意味はない。時間を考えて、割り切って、だめだとわかっている部分でも目をつぶらないといけないことがあるんです。でもあれだけの成績をあげていなかったらここに今もいるかはわからなかったでしょうね(笑)」

 この結果は、井村への眼差しを劇的にかえた。

(以下、Number696号へ)










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最終更新日  2015年08月04日 03時30分50秒
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