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2015年08月21日
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カテゴリ:鈴木藤三郎
十二月三日 晴
 午前九時より藤山氏案内にて、我輩三人は伯林府の南隅なるゲルリツチヱル・ウーヘル九番地シー・ヘツクマン製糖器製造所に行、此気罐の製品及び設計を見る。是より亦アルブ・ヘスカ及びコンパニー(分蜜器製造所)に行、専売の分蜜器械を見る。午後二時三人会食して是より藤山氏に分れ、直に帰宿して当地に得たる器械の積り書を翻訳せり。
十二月四日 雨降
 当日は今井氏と両人にて各所より得たる器械説明書を翻訳せり。午後二時より藤山氏とヘツクマン会社へ行、工場を見る。
十二月五日 曇り
 当日は余と今井氏と両人及び藤山氏も来りて器械説明書を翻訳せり。
十二月六日 日曜 晴
 午前より余と今井両人にて前日之通り説明書を翻訳せり。午後五時より藤山氏と三人でパツサージ・パノクチクンに行、ロー細工の生人形を見る。
十二月七日 晴
 午前十一時まで翻訳せり。午後よりヘツクマン器械工場へ行、此気罐及びスチールに付て質問せり。午後五時帰宿す。此夜広田氏が来訪せり。
十二月八日 晴
 午前十時より藤山氏の案内にて帝室博物館に行。是よりアレキサンドルフラツに行き、セダン戦争のパノラマを見る。是よりケーニヒ町市役所の穴蔵料理店にて麦酒を飲む。是よりルイゼン街五十四番地なる藤山氏の下宿に行、日本食及び鰻のカバ焼を食す。午後四時より独乙銀行に行、金千七百五十マークを受取、是よりウーテル・デン・リンデン(ヒルレル)(上等料理店)に行、溜別の為め藤山氏と三人で会食す。是より直に帰宿す。午後九時なり。此夜広田氏来訪。依て明日同行の約束をなす。
十二月九日 晴 伯林発
 午前九時より藤山氏来り、而して十一時二十分下宿を出発し、フリードリツヒストラッセ・ステーションに至り、広田氏と会し、是より三人にて乗車す。藤山氏は此処にて分袂す。是より同地を出発して午後二時三十分ハンノバー府に着し、ホテルブリストルに投ず。此日三人で当市中を散歩せり。
十二月十日 曇
 午前九時よりハンノバー府の近方ケールチング村ケールチング兄弟会社へ行(電気及び器械製造所)、社長ケールチング氏に面会す。是より社長の案内にて同工場を見物す。当工場の器械の運転は都て電気を以てす。亦電気は斯子の原動器に依て発す。抑々此応用を見ることは我等着欧米以来当所を以て始めとす。亦工場の規模は盛大にして且整頓なること実に感あり。午後一時に至り社長自ら馬車を御して我等三人をホテルに送る。亦午後二時三十分社長自ら馬車を駆て我等を迎ひ、而して同車して工場に至り、是より精糖器械の原動機に電気を応用するの利益をケルチング氏は主張して、其功用を説明あり。午後五時に至り、明日の再会を期して帰宿す。

1 「二宮先生と余が欧米観」鈴木藤三郎著(「二宮翁と諸家」) 
「▲ドイツ観 ドイツにおいて余はハノーバー府という都会を去ること約2里ばかりの処にある「ケールチング」工場を見舞うた。ここは「ケールチング」工場の職工を以て、実に500有余戸の一村落を形成しておる。ケールチングは当時64歳のかくしゃくたる老人であったが、この翁の一生も優に立志篇中の材料を供給するに足るので、聞くところに由ると、彼は25歳まで鋳鉄職工であったが、その年「ケールチング」式暖房室機を発明して、財産を作り、遂に工場を起こして、今日では世界的にその工業を拡張し、万事よく整頓してほとんど間断する処を見出さないほどである。余はハノーバー府の旅館より通って1週間ばかりこの工場を視察したのであったが、ある日彼れ余に問うて曰く『君は欧米各国を歴遊して来られたから、定めし見聞が広いであろう、余不幸未だ米国を見ず、我が工場また終に固陋の弊あるを免れざらん。乞う我が為めに我が工場の欠所を語れ』と。『余曰く、なし、されども強いて言わば、余にただ一の疑問あり、貴場の盛大完備せる。これを英米の工場と比較して毫も遜色なし。ただ貴場の設計室極めて壮観を呈し、かつ聞く所によれば技師は31名の多数に上れり。けだし英米においてかつて見ざるの現象たり、知らずこれ何の故ぞ』と。彼拍手して曰く『善いかな言や、君の疑問まことに理りあり。されど我が工場に有給の技師は、たった一人である。その他は皆な工科大学卒業生が、実習の為めに来場せるものであって、彼らは自費自弁であるいは3年あるいは5年、実地の練習をここに試み、然る後他の工場より招聘し来たるを待っておるので、設計室のごときも余が国家に対する義務なりとして、多少装置を施せる次第である』と。総じてドイツにおいては工学士が大学卒業後、4,5年実地練習を試み、その上なお有給の技手となってから、特別なる功績あるにあらずんば容易に技師長となることが出来ないのである。即ち一人前の人物となるには、少なくとも大学卒業後10か年を要するので、余はケールチングが余に語る所、及びその実際の状態を見て、ドイツ工業の発展する所以、決して偶然にあらざるを悟った。」





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最終更新日  2015年08月21日 06時20分03秒



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