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2015年08月30日
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カテゴリ:鈴木藤三郎

8月29日土曜日午前9時から11時半まで、鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」のヨーロッパ編を会員3人で輪読した。

〇〇が、全ルビつき原文を読んで、中途半端な気がするという。

鈴木藤三郎氏顕彰第3集では、現代語訳したものを収録していて、今回は原文を朗読、輪読してもらえるようにと全ルビを試みてみたのだ、

8月9日に裾野市市民文化センターでアメリカ編を森町から来た3人と輪読した際にも、

〇〇さんに感想を求めると「難しい」ということであった。


原文をリスペクトしながらも、現代語訳し、できるだけ読みやすくしたほうがよいのかもといろいろ考慮しているところである。

とりあえず、全ルビは読書会用に進めてはみよう。

読書会が終わって、〇〇さんに「カレーは好き?」と聞くと

「カレーを嫌いな人はいないでしょう」

と駅前の「キャンプ」というカレー専門店に行く。

ここは、キャンプ形式でコンセプトができていて、鉄板の器に熱々のカレーを載せる。

水差しも水筒、スプーンはスコップの形と細部にまでごだわっている。

 

 

画像出典:http://www.diningmaison.jp/sp/restaurant/img/p25_1.jpg



「カレーは熱々のものが旨いからね。ここの定番は一日分の野菜カレーで、野菜がたっぷりと載ってくる。

女性に人気で、奥様と一緒に来てもいいかも・・・」

「グルメですね・・・」

「グルメということではないけど、森町の〇〇さん〇〇さんに鎌倉を案内したおりも、キャラウェイというカレー屋に案内したんだ」

「鎌倉でカレーですか?」

「うん、ご飯が大盛りでね、2人ともその量にびっくりしていたけど、それでも全部たいらげていた」


〇〇市立図書館の前にも、スリランカのカレーを食べられるお店があって、ここも結構旨い。

海外は、台湾のほかはスリランカに行っただけで、その思い入れもあるのかもしれない。」


「今日のロンドン編も地図で場所を確認していると、当時のロンドンが彷彿(ほうふつ)できるようで面白いね、

藤三郎が最初リバプールから汽車に乗ってロンドンについた ユーストン駅 は1837年にロンドンで最初の鉄道の終着駅で、駅の入り口には『ユーストン・アーチ門』が建設された。市民の反対にもかかわらず、1963年に取り壊されているから、現在その門を見ることはできない。」

「それにしても100年以上の前のことを、現在のロンドンの地図で確認できるのがすごいですね。」

「うん、ロンドンという町は、通りの名前や主要な建築物がその場にあるから、

鈴木藤三郎が記した日記の通り名や建築名でナビのように居場所を特定できる。

ロンドンやイギリス内地旅行を地図の上で追っていくと、何か追体験して親しく感じるね。

一つはコナン・ドイルの描いたシャーロック・ホームズの活躍するロンドンと藤三郎がいた1899、1900年当時と同じで、当時のロンドンについて物語の中で読んでいるからだろうね。

ローリストン・ガーデンの怪事件の事件後では、

「ふたりがユーストン駅で馬車を降りましたので、私も近くにいた子どもに馬車を預け、プラットホームにあとを追っていきました。やつらはリヴァプール行の列車はないかと尋ねていましたが、車掌の、たったいま出たばかりだから次の列車まで数時間待たねばならないという声がきいてきました」

とある。

シャーロック・ホームズはある意味、ロンドンの町が主人公なんだよ。

「赤ひげ組合」では、

「午後から、せんと・ジェームズ・ホールでサラサーテの演奏があるんだ」
ホームズが言った。
「どうだろう、ワトスン、2、3時間診療のほうを休むわけにはいかないだろうか?」
「今日はひまなんだ。もっともいつものことだがね」
「じゃあ帽子をかぶってついてきたまえ。初めにシティを通っていくから、途中でお昼を食べよう。
プログラムを見るとドイツの曲がたくさんあるけど、イタリアやフランスのものよりは、ぼくには性にあう。
ドイツ音楽は内省的だが、いまはまさに内省したい気分でね。さあ行こう」

馬車でケンジントンの家へ帰る道すがら、・・・」

ワトスンは、鈴木藤三郎が1899年9月5日行ったケンシングトンに家があったんだ。

藤三郎はそこのアールスコートでインド&センロン博覧会を見ている。

アールスコートにはヴィクトリア&アルバート博物館など多くの博物館が現在もある。

藤三郎は9月17日サボイシアターでオペラ「ミカド」を観覧し、またターナーの絵も観覧している。

音楽会を聞きにいった記録はないから、どちらからといえば耳からではなく、目から情報を入れるタイプの技術者だったんだろうね。

「私は9時15分すぎに家を出て、ハイド・パークを抜け、オックスフォード街を通り、ベイカー街へと出た」

とホームズの物語は具体に後をたどれるような記述になっている。


鈴木藤三郎のロンドンの日記も同じで行った先の通り名などが記載されていてそれを読むと、ホームズの世界に描かれた時代がたちあらわれて、地図と照らし合わせながらおいかけていくと、まるでその場所に立ってみたいな気がするね。

ロンドンやイギリス内地旅行のあとを追体験し、その場に実際立ってみたいもんだね」

「行けばいいじゃないですか」

「ロンドンに行きたいと思うも、ロンドンは遥かに遠しだな、ハハハ」







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最終更新日  2015年08月30日 08時48分27秒



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