全て
| 報徳記&二宮翁夜話
| 二宮尊徳先生故地&観音巡礼
| イマジン
| ネイチャー
| マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
| 宮澤賢治の世界
| 五日市剛・今野華都子さんの世界
| 和歌・俳句&道歌選
| パワーか、フォースか
| 木谷ポルソッタ倶楽部ほか
| 尊徳先生の世界
| 鈴木藤三郎
| 井口丑二
| クロムウェル カーライル著&天路歴程
| 広井勇&八田與一
| イギリス史、ニューイングランド史
| 遠州の報徳運動
| 日本社会の病巣
| 世界人類に真正の文明の実現せんことを
| 三國隆志先生の世界
| 満州棄民・シベリア抑留
| 技師鳥居信平著述集
| 資料で読む 技師鳥居信平著述集
| 徳島県技師鳥居信平
| ドラッカー
| 結跏趺坐
| 鎌倉殿の13人
| ウクライナ
| 徳川家康
カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
活水女子大学図書館
和書 (ボーイズ・ビー・アンビシャス 第5集)内村鑑三 神と共なる闘い 不敬事件とカーライルの「クロムウェル伝」 二宮尊徳の会 2014 289.1 U1-4 [01116214] 東1 和書 二宮金次郎の対話と手紙 第一 小田原編(少年・青年期) 中学生からお年寄りまでよくわかる 二宮尊徳の会 2015 157.2 T1 [01116215] 東2 和書 二宮尊徳と日本近代産業の先駆者 鈴木藤三郎 二宮尊徳の会,鈴木藤三郎翁顕彰会 2014 289.1 T46 [01116418] 東1 和書 (ボーイズ・ビー・アンビシャス 第4集)札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士 紳士(ジェントルマン)の工学の系譜 二宮尊徳の会 2014 281.04 T10 [01116419] 東1 和書 (ボーイズ・ビー・アンビシャス 第3集)新渡戸稲造の留学談・帰雁(kigan)の蘆(ashi) 二宮尊徳の会 2014 281.04 T10 [01116420] 東1 和書 (報徳記を読む 第2集)報徳は精神変革である 二宮尊徳の会 2014 157.2 T1-2 [01116421] 東2 和書 (報徳記を読む 第1集)『報徳記』第一巻(『報徳要典』準拠全ルビ原文(朗読・輪読用)、現代語訳、資料集) 二宮尊徳の会 2014 [01116631] 準備中 活水女子大学は、長崎県長崎市東山手町1-50に本部を置く日本の私立大学である。1981年に設置された。 就任5カ月で無名の吹奏楽部を全国大会へ導いたカリスマ指導者から学ぶ、「信頼関係」を築く方法抜粋 昨年11月に開催された、第63回全日本吹奏楽コンクールの決勝大会。中学、高校、大学、職場・一般の4部門で実施され、参加団体は1万超という、国内最大規模の音楽コンクールです。そして、その中から地区大会から勝ち上がり、全国大会へ出場できるのはそのうちのわずか100団体ほど。 ところが2015年、そんな超ハイレベルな大会へまったくの無名だった長崎県の活水高校吹奏楽部が見事出場という快挙を果たしました。それまで実績のなかった彼らが、なぜ全国大会まで勝ち上がることができたのでしょうか。 その背景には、就任わずか5カ月で全国大会へと導いた、同校吹奏学部顧問の藤重佳久(ふじしげ・よしひさ)先生のカリスマ的な指導力がありました。 カリスマ的指導者の就任 藤重先生が定年を機に福岡の精華女子高校を退職し、活水女子大学音楽学部教授、活水中学・高校の吹奏楽部顧問に就任したのは2015年4月のことでした。 精華女子高校と言えば、吹奏楽ファンの間では言わずと知れた強豪校。藤重先生は同校の吹奏楽部で35年間顧問を務め、在任中には全日本吹奏楽コンクール金賞10回、全日本マーチングコンテスト金賞16回など数々の賞を獲得。まさに、高校吹奏楽界のカリスマ的指導者だったのです。そんな藤重先生の退職と、活水中学・高校への就任は当時大きな話題となりました。 それからわずか5カ月後、同校は見事に全日本吹奏楽コンクールの全国大会に出場。生徒たちの急成長による躍進で、見事な結果を残しました。 躍進の裏には豊富な練習量。生徒たちの原動力は? 藤重先生の指導力もさることながら、その急成長の裏には、やはり豊富な練習量があります。就任以前と比べ、練習時間はそれまでの倍となり、週末も丸1日練習に充てるようになったそうです。 しかし、初心者も多かったという同校の吹奏楽部。いきなりそんなに練習量が増えてしまっては、モチベーションや体力が追いつかない生徒も多そうです。 キツい練習でも頑張らせるために、生徒とどのようなコミュニケーションを図っていたのでしょうか? 藤重先生にお聞きしました。 藤重先生:毎日教室に入り生徒と会うと、「おはよう」だけではなく、「今日はちょっと顔色が悪そうだね」「とても元気そうだけどハッピーなことでもあったの?」など、必ず一言添えるようにしています。 藤重先生によれば、単なる挨拶にもそのようなちょっとしたコミュニケーションをプラスすることで、生徒との距離感を一気に縮めることができるのだそうです。生徒の数は60名を超え、一人ひとりと直接コミュニケーションを取ることが難しいだけに、こうしたちょっとした声掛けが大切になってくるのかもしれません。 また、生徒のことを理解するために、日記を書かせるという取り組みも。内容はプライベートであったことや今気になっていることなど、部活動と関係のないことでも認めています。日記は毎日チェックし、時折話のネタにもするそうです。 藤重先生:「チャンス教育」とは、どんな人でもその人なりの成功体験を味わうことができるように、チャンス(機会)を与える教育方法のことです。「成功体験」を味わうことで、人は情熱を持って物事に取り組むことができるようになります。「この役はあなたしかいない」「この役はあなたに向いていると思うけど、とても大変だよ。それでもいいならやってみる?」といったように、どの生徒に対してもチャンスを与えています。 藤重先生:面白いと思ったことは、すぐに取り入れるようにしています。たとえば「シエスタ(昼寝)」。これは私がスペイン旅行中に現地の人がシエスタをしているのを見て、部活でもやってみようと思ったんです。生徒たちからは、「とてもリフレッシュでき、集中力が出る!」など好評でしたよ。 (文/広田睦侑) 手倉森監督のやり方が南アフリカW杯の時と異なるのは、メンバーを固定せずに23名中22名の選手を起用し、チャンスを与えたことだ。それを意気に感じない選手はいない。 「試合に自分を使ってくれている。頼むぞと送り出してくれる。テグさんをリオにつれていきたいと強く思ったし、監督のためにいいプレーをしたいと思った。それがチームの勝利につながったんだと思います」 サウジアラビア戦で出場のチャンスをもらった三竿健斗はそう言った。 選手を信頼し、多くの選手を試合に起用して競争をあおりつつ、監督自らの求心力をも高めたのだ。 ただ、いくら監督が笛を吹いても、選手が踊らなければ試合に勝てない。そのモチベーションになっていたのが選手とチームに対する世間の低評価だった。 「このチーム、本当に大丈夫か」 「エースがいないし、選手の顔が見えない」 「リオ五輪はむずかしいだろう」 厳しい言葉を浴びせられた選手は、「絶対に五輪の出場権を獲得して、見返してやろう」と、固く誓い合ったという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月30日 01時08分03秒
|