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2016年02月09日
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この10日ほど延々と「報徳記を読む第3集」の校正を行っていて、やっと読書会記録の校正に入っている。

今から8年ほど前の記録ではあるが、報徳記を理解する上での一助とはなろう。

また会員にとっての記憶のよすがにもなり、その折々のことが年月を経てもありありと想い出すことができよう。

参加していない人も幾分かはその雰囲気を味わえる。



それが記憶ではなく、記録を作成することの意義でもある。


平成二〇年七月二三日 大和市民活動センター
第三回会報 ○○から読書会の方針について「円心あって円周なしだった」と聞かれる。
「そうです。『修身教授録』の著者森信三先生の言葉です。『円心あって円周なしそしてみな自主独立にして出入自在。今後は無数のコンミューンが生まれねばならぬが、この様な円の中心者たちが、お互いに手を取り合う開かれたコンミューンでなければなるまい。』出入り自由な読書会にしましょうということです。」
 巻の一【4】先生小田原候の委任を受け野州桜町に至るを○○が読み、【5】先生桜町陣屋にありて艱難に素し興復の道を行ふを○○が読む。それから再度現代語訳をかぶせ読みする。第一回目のとき、現代語訳は不用で原文だけで十分という意見もでて、第二回目は原文だけで、現代語訳は配布するだけにしたが、原文がよく理解できないという意見も出たので再度原文を見てもらいながら、現代語訳をかぶせ読みする。資料として内村鑑三の「予が見たる二宮尊徳翁」を読む。(「ボーイズ・ビー・アンビシャス第一集」六五頁)第三回報徳読書会参加者は、七名。「京セラの稲盛さんが内村鑑三の『代表的日本人』に出てくる二宮尊徳についてこう言っています。『裃をつけて殿中に上がった二宮尊徳は、あたかも生まれながらの貴人の如く振る舞った。なみいる諸大名の中にあって何の遜色もないぐらい、立ち居振る舞いといい、言動といい、どこの貴族の生れかと思われるほど立派なものであった。』二宮尊徳といえば、柴を背負って本を読んでいる銅像を思い出しますが、彼は労働の合間に独学で勉強しただけで、学問らしい学問を修めたわけではありません。その彼が、素晴らしい人間性を築いたのは、若い頃から労働を通じて心を磨いてきたからです。現代に生きる我々は、戦後の労働価値観の中で、労働を報酬を得るための手段でしかないと思っていますが、私はそうではないと思っています。勤労だけが人間の心を磨く、魂を磨く唯一の方法であると思います。このことは内村鑑三の描いた二宮尊徳の晩年の姿を見れば、分かるような気がします。」
「仕法の妨害をする豊田正作を酒浸りにしたというのはどうなんでしょうね。」と質問が出る。
「富田翁語抄録に、ある日、富田高慶が尊徳先生に史記を講じた場面が出てくる。周の文王が讒言(ざんげん)され紂王(ちゅうおう)に捕らえられて幽閉された。紂という王は残虐で、家臣を殺して塩肉や干し肉にしたり、諫めた賢臣の胸を裂いたり、奴隷とした。だから文王の家臣達は大変に心配して紂王のお気に入りの家来の費仲を通じて、西国の名馬・立派な四頭立ての馬車や踊り子や珍しい宝物などを贈り物とした。すると紂王は喜んで『これ一つだけでも文王を釈放するに足りる』と文王を釈放したばかりか、弓矢やまさかりを与えて西国を征伐する権限まで与える。そこまで聞いていた尊徳先生が手を打って素晴らしいと感嘆される。富田はびっくりして『先生は嘆賞されましたが、後世の儒者の中には文王の家臣がどうして不正の贈賄で文王を救おうとしようか。釈放されるのも道があるはずだ。これは司馬遷が間違って史記に載せたに違いないと言う者がおります』と言った。すると尊徳先生は『腐れ儒者に何が分かろうか。司馬がここに載せたのは史実と信じたからである。紂は残虐無道で次々に家臣を殺した。もし文王の家臣が紂に道を説いて釈放を求めたら、必ずや紂は怒ってこれを殺し、その怒りは文王に及ぶであろう。家臣達は自分たちが殺されて主君が釈放されるのであれば喜んで死に赴こう。死なずに紂のお気に入りの家来を通じてこのことをなす。全く紂の心を察して主君が許されることを至誠に思う気持ちで計らったのだ。賢者でなければどうしてできようか』と褒めた。豊田正作の妨害で正面から豊田を説得しても全く聞く耳をもたない、このままでは大久保忠真侯から命じられた復興事業が頓挫してしまう。そこで事業を成功させるためにはどうすればよいかと思案して、豊田に朝から酒を飲まして事業を妨害する悪巧みができないようにされたんでしょうね。」
すると○○が「そうなんだ。『正しいか正しくないか』ではなく『楽しいか楽しくないか』で判断すべきだと○○はいうんだ。」
「これは斎藤一人さんが言っていることで、正しい道を選ぶより、楽しい道を選びなさい。もしも道に迷ったら楽しいほうを選びなさいと言っています。さらに「世の中の人がみんな正しさを基準にするんじゃなくて、楽しさを基準にしてお互いを認め合えば争いごとはなくなるんじゃないか」とも言います。エステ世界一の今野華都子先生が、エステのお店の従業員に教えた判断基準は『損か得かという判断基準ではなく、これをやったら先生は喜んでくれるだろうか、お客様は喜んでくれるだろうか、これをやったら自分の心が嬉しがるだろうか、それでも分からなければ、これをやったら、お父さんお母さんが喜ぶだろうか、それ(良心)を判断基準としなさい』と言われたことと同じですね。」







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最終更新日  2016年02月10日 03時31分16秒



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