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2016年07月23日
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カテゴリ:イマジン
日本文化史を研究するイタリア人、パオロ・マッツァリーノ氏は、著書『「昔はよかった」病』(新潮新書)の中で、「昔はよかった」と言って今を嘆き、過去を懐かしんでばかりいるのが日本の年長者の特徴だ、と言う。

NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の大西連理事長

「私たちが収入を得る要素は、労働、資産、家族の援助、社会保障の4つ
そして国民年金は、社会保障以外の3つの要素がある前提で成り立っている制度なんです。
成人するまでは親に扶養され、学校を出たら働いて貯金する。結婚して子供が生まれたら、家族を養いながらマイホームを買い、資産を作る。そして定年退職を迎えたら、貯蓄と退職金、子供たちの援助に支えられて生活する――。
実際、昭和にはそうした社会モデルが一般的で、現在の社会保障制度は、こうしたモデルを前提に設計されている。
国民年金も、それ1本で生活を成り立たせるための制度ではないのです」

「高度成長期には正社員が当然で、終身雇用が前提で企業福祉も充実し、妻が専業主婦でも家族を養う余裕があった。しかし、現在は非正規雇用者が労働者全体の37%を占め、彼らは給料が低いので資産を形成できず、そんな状態では結婚して家族を養うこともできない。要するに、収入の4要素のうち3つがない人が増え、昭和モデルが通用しなくなっているのです」

「老後破産に陥る人は、一般企業の正社員だった人も多い。それなりに恵まれた家庭環境で育ち、大学も出た人が少なくないのです」

「そういう人は、自分がリストラされたり、熟年離婚せざるをえなくなったりしたとき、“恥”だと感じて周囲や友人に言い出せません。20代、30代ならともかく、40代や50代で今までの不自由のない生活からグレードを下げなくてはならなくなっても、周囲に同じような境遇の人はおらず、話しづらい。それを引け目に感じ、友達づきあいも減ってしまうのです。いざ転職先を見つけても、20代や30代の若者が上司ということが多く、孤立を深め、精神的に病んでしまったり、相談できないまま、間違った選択肢を選んでしまったりするのです」

ダウンサイジングすることの難しさ

天地真理の場合

「個々の性格として不器用な人、要領の悪い人、昔からの習慣や美徳に縛られている人ほど、自らの首を絞めてしまっている」

「うちに相談にきた60代の男性は、元々は一般企業に勤め、年収500万円ほどでしたが、50歳のころに母親が認知症を患い、介護に専念するために退職。しかし再就職しようにも、50代では条件に見合う仕事は見つからず、介護のストレスも溜まって鬱病になり、生活保護を受けています。介護つきマンションや老人ホームを探せば、仕事を辞めずに済んだはずですが、それでも自宅介護を選んだのは、“親の面倒は子が看る”という、日本独特の価値観があったからです」

野宿者ネットワーク生田武志代表

「40代、50代のときに仕事を失い、再浮上できないまま破産状態に追い込まれる人もいます」

「府内に住む60代の男性は、調理師として働き、30代のころは月に30万~40万円稼いでいたそうですが、バブル崩壊の煽りで店が倒産。40代から土木作業に転じますがケガが多く、50歳を前に解雇。その後は転職もできず貯金も尽き、生活保護を受給しています。やはり生活保護を受けている60代の男性は、大阪市内で複数のスナックを営んでいましたが、倒産して借金を抱え、10年前に離婚。住まいが奥さんの実家だったために住居も失い、自己破産してしまいました」

都営住宅に住む66歳の男性が語る。

「鹿児島から上京して獨協大学に入学し、卒業後は浅草有線放送などで正社員として働きましたが、競馬にはまったりして退職。新聞の勧誘や清掃などをして過ごしました。収入は月13万~14万円程度で、家賃は6万円。独身だし身体は丈夫なので生活できました。ところが5年前、鷺宮のホテルの清掃の帰りに、新宿駅で腹痛に襲われて意識を失った。急性腹膜炎で危険な状態だったらしくて、意識がないうちに手術され、3週間入院して50万円の医療費がかかった。それは月賦で払うことにしたけど、もう体力がなくなって働けない。生活保護を受けていますが、それが恥ずかしくて……。食事は100円のお惣菜が夜は半額になるのを狙って食べています」

「18歳から自動車の組み立て工場で働き、20歳でやめて夜間学校に4年間通い、証券会社に正社員として入社しました。給料もよかったのですが、職場にパソコンが入ってきて、それを使えずにクビになってしまった。その後は警備員をしたり、飲食店で働いたりしましたが、月収15万円ほどで生活はぎりぎり。独身で傾きかけた両親の持ち家があるから、なんとかなりました。今は2カ月で16万円の年金だけで暮らしていますが、貯金はゼロで、食事は納豆と豆腐ばかりです」

「今は医療の進歩もあって、高齢者の方も元気。退職後を第二の人生ととらえ、アクティブに行動する人が増えましたが、その分、交際費もかかり、生活を圧迫している場合もあります」

以上週刊新潮2015年10月1日号


カフカの階段 という言葉を思い出す。

ホームレスになってゆくプロセスは、小さな段差の階段を一つ一つ降りてゆくようなもの
しかしひとたびホームレスになってしまうと、そこから復帰するには「ものすごい段差の階段を、一気に1段だけのぼる」ようなもの【要するに「壁」で、ほとんど不可能】。

ご自身が日雇労働者である生田武志氏は、カフカの「父への手紙」にある次の一節を参照しつつ、こうした状況を「カフカの階段」と呼んだ。

「たとえてみると、ここに2人の男がいて、一人は低い階段を5段ゆっくり昇っていくのに、別の男は1段だけ、しかし少なくとも彼自身にとっては先の5段を合わせたのと同じ高さを、一気によじあがろうとしているようなものです。
 先の男は、その5段ばかりか、さらに100段、1000段と着実に昇りつめていくでしょう。そして振幅の大きい、きわめて多難な人生を実現することでしょう。
 しかし、その間に昇った階段の一つ一つは、彼にとってはたいしたことではない。ところがもう一人の男にとっては、あの1段は、険しい、全力を尽くしても登り切ることのできない階段であり、それを乗り越えられないことはもちろん、そもそもそれに取っつくことさえ不可能なのです。意義の度合いがまるでちがうのです。」


カフカの階段を転げ落ちる前に 先に生活のダウンサイジングをはかるべきことは二宮尊徳の教えるところである。

さらには収入の半分ないし、4分の1を別に備えておいて、

それは生計に使わず、陰徳積善の行いに用いる。

「たらいの水」の教えにあるように、それはいずれは自らや子孫にやさらには連綿と続くわたしたち人間社会にめぐっていくのだと信じる。

「たらいの水」そのものに寄与するべく、推譲を実践することが必要であると信じる。

それこそが報徳の行いであろう。








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最終更新日  2016年07月24日 01時15分40秒
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