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2019年01月14日
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カテゴリ:イマジン
哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開
1/14(月)

 独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。

1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京都市立芸術大学長などを歴任した。

 60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。

 80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。

 社会的発言も多く、日本人の死生観をもとに「脳死」の考え方に強く反対したほか、イラク戦争や自衛隊の海外派遣の反対、平和憲法擁護なども訴えた。一方で、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の創作など劇作家としても活動し、多才ぶりを示した。

 99年に文化勲章受章。97年から日本ペンクラブ会長を3期6年務めた。2004年には「九条の会」呼びかけ人となり、11年には東日本大震災復興構想会議の特別顧問となった。



京都新聞(2006年8月5日)の記事から。


天眼 
    「怨霊になる覚悟」 
              梅原猛(哲学者)



日本において、神や仏の如く崇拝され、その道の祖となった文化人といえば、

仏教の聖徳太子
和歌の柿本人麻呂
学問の菅原道真
能楽の世阿弥
茶道の千利休

を挙げることに異存を唱える人はいないだろう。

ところがこの5人はすべて死後、怨霊あるいは怨霊に近いものになった人である。

聖徳太子は流罪、死罪にはならなかったが、死後21年目に起きた一族の惨殺事件は怨霊になる条件を十二分に与えるものであり、再建法隆寺はこのような怨霊の鎮魂の寺としか考えられない。

人麻呂についても、流罪あるいは死罪の伝承が古来語られてきたが、、江戸国学の成立以来、そのような伝承はまったく無視されてきた。

最初、とても不思議に感じたことで、
怨霊であったはずの、菅原道真が
天神さん(天満宮)として祀られ、民衆に慕われている・・・

霊的な見方として、
あちらの世界で修行を積まれ、神界にまで行かれた・・とのこと

霊験あらたかなる神社は、
民衆の望みと、一方では神界側での働きが大いに影響しているようですね
怨霊はさまざまな祟りをなし、政治家を苦しめる。
道真の怨霊は最高権力者、藤原時平ばかりか醍醐天皇までも死に陥れたという。

民衆はこのような政治によって無実に死んだ文化人を心から敬愛し、ひそかに政治家を責め、当時起こった災いをすべて怨霊の祟りに帰するのである。

とすれば、権力をもつ人間も怨霊の祟りを恐れて自己の行為を反省し、その権力の横暴を少しは抑制せざるを得なくなる。

日本においては、キリスト教国におけるような世俗の権力に匹敵する聖なる力を持つ宗教的権力は存在しない。
その代わりに怨霊がそのような宗教的権力を代行するのである。

聖徳太子、人麻呂、道真、世阿弥、利休の霊はまさに権力の横暴を批判し、この世に正義を実現せしめようとする霊なのである。

このようにみると、日本において怨霊の力はまことに大であり、怨霊にならなければ第一級の文化人とはいえないといってよい。

私は幸か不幸か世阿弥や利休ほど権力者と付き合わなかったので怨霊になる機会を失ったが、怨霊になる覚悟なしに学問や芸術に携わるのはむなしいことであると最近つくづく思うのである。

☆なるほど、「西郷どん」の最後が「弾丸飛ぶなかを凄い形相で走りゆく」で終わったのも、

西郷隆盛が怨霊として「世俗の権力」を批判し、理想の国づくりへの道を指し示すものとして庶民に慕われ、上野の西郷さんはその霊(たま)鎮(しず)めのシンボルなのかもしれないなあ・・・

ふむ、二宮尊徳もまた二宮金次郎像として全国の小学校に設置され、日本人の霊(たま)鎮(しず)め、あるべき日本人像として置かれているのかも それが戦後の日本国の復興を支えてきた「至誠勤勉」を刷り込んできたのかもしれない と深層心理的には解釈されるかもしれないなあ。





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最終更新日  2019年01月14日 04時41分15秒
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