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カテゴリ:尊徳先生の世界
・『尊徳は青雲の志あり』の一句あり。
尊徳これを見るやふつ然として稿を火中に投じて曰く 『予は一農夫にして足る、何ぞ青雲の路を求めんや、誣(し)ゆるもまた甚だし』と。 ・高慶の稿成るに及んで通読一過、黙として語なし、知るべし彼が高慶に黙認したるを。 ・尊徳の教えと申しますは、風俗を厚くし、礼譲を尊び、身寄りのない者をあわれみ、怠惰を戒め、用を節し生を厚くし、これ以上に良い仕方はないものです。 それから後、民風は奮い、農産はふえ、他から人口が集まり、荒地は開け、家々は衣食に困らなくなり、鶏や犬の声がにぎやかに聞こえて来ました。これは尊徳の教えによって高慶らの力を入れた結果であります。 ・尊徳の実践したところは民政に参考とすべきものが少なくありません。高慶がその伝え残っていることを取り集めて書き記しましたものが、この「報徳記」であります。 ・人は、天の徳を徳とし、地の徳を徳とし、朝早く起きてこれに報いるために働き、夜遅く寝てこれに報いることを心掛け、信義を行い節倹を勤め、一尺ずつ荒地を開いて一畝に至り、わずかの金を積んで巨万に及ぶ。報徳の道とは、まず、そのようなものであります。 『済民記』より 報徳記を筆したるものは誰れか。 彼れの遺業を継承し、富国安民、報徳推譲の道をもって治国の要とした富田高慶である。 初め門弟にして彼れの事業を記せんと欲せるもの有り。 稿成るに及んでこれを尊徳に示す。 中に『尊徳は青雲の志あり』の一句あり。 尊徳之を見るや怫然として稿を火中に投じて曰く 『予は一農夫にして足る、何ぞ青雲の路を求めんや、誣(し)ゆるも亦甚だし』と。 高慶の稿成るに及んで通読一過、黙として語なし、知るべし彼れが高慶に黙認したるを。 そして尊徳が晩年の事業は高慶によって成るもの多し。 思うに尊徳の高慶における あたかも孔子の顔回におけるがごとき感ありしならん、尊徳が愛女をもって高慶に配したるがごとき、 もってその間の消息を知るに足らん。 特に相馬藩興復の事業における、 いかに高慶がその師の命に従って尽瘁せるか、 相馬充胤子が報徳記をかしこくも 乙夜の覧に供し奉るの時、捧呈したる上奏文はよくこれれを説明せり 報徳記を進める上表(「補注報徳記(上)」(14)より 佐々井典比古現代語訳) 臣充胤(みちたね)誠に恐れかしこんで申し上げます。 臣の祖先は封地を辺鄙の所にうけまして、代々地方の人民をおあずかり申して来ました。 天明の飢饉、天保の疫病に、田野が荒廃して人口が減少しました。臣の父益胤(ますたね)は深くこれを憂い、興復を焦慮しましたが、そのことを果たさないで世を去りました。 臣は若くして遺緒(あと)を継ぎ、父祖の業を拡張しようと思いますうち、家士富田高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。 尊徳はこれに興国安民の法を授けました。 そこで高慶は家老の草野正辰(まさとき)らと謀り、臣に勧めてこの法を行わせました。 その教えと申しますには、風俗を厚うし、礼譲を尊び、身寄りのない者を哀れみ、怠惰を戒め、節用厚生、これ以上に良い仕方はないというほどであります。 それから後は、民風はようやく奮い、農産はますますふえ、他から人口が続々と集まり、荒地はつぎつぎに開け、家々は衣食に困らなくなり、鶏や犬の声がにぎやかに聞こえて来ました。 これは尊徳の教えによって高慶らの力を入れた結果でありまして、ここに亡父の素志が成就し、臣の微衷が果たし得たのであります。 そうして、尊徳の実践したところは民政に参考とすべきものが少なくありません。 高慶がその伝え残っていることを取り集めて書き記しましたものが、すなわちこの報徳記であります。 それ天の徳は公明正大であり、地の徳は重厚慈仁であります。 そうして四季はめぐり万物は育ちます。 それで衣食がありますから飢寒を免れます。 居室がありますから風雨を防ぎ得ます。 そこで人たるものは、天の徳を徳とし、地の徳を徳とし、朝早く起きてこれに報いるために働き、夜遅く寝てこれに報いることを心掛け、信義を行い節倹を勤め、一尺ずつ荒地を開いて一畝に至り、わずかの金を積んで巨万に及ぶのであります。 報徳の道とは、まず、そのようなものであります。 これはすなわち尊徳の平素の持論でありまして、高慶らのその法によって興復したところであります。 恭(うやうや)しく維(おも)いまするに、 天皇陛下は神のごとくさとく英明であらせられ、維新の創業に当って、世にひそんだ徳あるものを表奨したまい、隠れて目立たぬ物事までもその長所美点を顕揚せられました。 臣は不肖でありながらなお恩賜をかたじけなくしておりまして、且つは恥ずかしく、且つは恐れ多く、お恵みふかき御恩のあつさを私一身に受け、誠に忸怩たらざるを得ません。 よってここに報徳記8巻を繕写し上表いたします。 幸いに天覧を賜りますよう伏してお願いいたします。 以上、誠に恐れかしこんで申し上げる次第であります。 明治13年庚辰10月 従四位 臣相馬充胤上表 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年11月23日 04時42分06秒
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