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映画コメント

スタンリー・キューブリック

映画

スタンリー・キューブリック

プロフィール
1928年7月26日、ニューヨーク生まれ。キューブリックの父親が写真に興味を持っていた影響で、自身も早くから写真を撮り始め、17歳でルック誌に写真が載るほど腕前だった。高校卒業後にルック社の社員となるが、自主制作の短編が売れたのをきっかけに映画の道に進み、53年に「恐れと欲望」で長編デビュー。56年3作品目の「現金に体を張れ」で評論家に認められて、57年カーク・ダグラス主演「突撃」で成功を収める。公開当時は”おもわせぶりで退屈な映画”との悪評が多かった「2001年宇宙の旅」は年を追うごとに評価が高まり、1999年キューブリックの死によって一段と拍車がかかったのではないだろうか。キューブリック監督曰く。「この映画はメッセージではない。言葉に置き換える事のできない、2時間19分のフィルムの体験だ。私は原作をビジュアルな体験としてクリエイトしたかった。観客の意識の奥深くを訴えかけるような音楽が、そうするような濃密な主観的体験をめざした」。1作ごとに哲学的質問を山と抱えてジャーナリストや評論家がやってくると、キューブリックはいとも常識的で明快な答えをだすのだった。71年「時計じかけのオレンジ」では純粋暴力を綺麗に映像化、暴力は人間社会や国家を構成する重要な悪の要素で、その象徴が核戦争にあることを64年「博士の異常な愛情」ですでに証明済みである。”狂気”もまた暴力と切り離せない関係にあると、ジャック・ニコルソンの歪んだ表情で証明したのが80年の「シャイニング」である。ベトナム戦争をついにキューブリックが・・・・。”戦場での悲惨さよりも軍隊の非人間性を言葉によって表現した”と話題を呼んだのが87年の「フルメタル・ジャケット」である。映画表現のために技術開発をすることも得意であり、75年「バリー・リンドン」ではロウソクの明かりだけで撮影可能なレンズシステムを作り上げることに成功したのである。60年以降アカデミー賞が出演者やスタッフに与えられるが、キューブリックは賞や映画祭には無縁で1999年死去。

作品(平均62.8点)製作年度  
非情の罠 1955年【米】 監督
現金に体を張れ 1956年【米】 監督
突撃 1957年【米】 監督
スパルタカス 1960年【米】 監督
ロリータ 1962年【英】 監督
博士の異常な愛情
または私は如何にして心配するのを止めて
水爆を愛するようになったか
1964年【米・英】 監督
2001年宇宙の旅 1968年【米・英】 監督
時計じかけのオレンジ 1971年【英】 監督
バリー・リンドン 1975年【英】 監督
シャイニング 1980年【米】 監督
フルメタル・ジャケット 1987年【米】 監督
アイズ・ワイド・シャット 1998年【米】 監督







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