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2006年04月10日
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カテゴリ:文芸情報

隆一郎と別れてから数日たったある日、中央紙に「ルポ・放射能汚染半島を行く」というルポルタージュが連載された。防護服を来た記者が、決死の思いで、下北半島の現在を取材したという。5回目くらいの連載だったであろうか、関根浜の「中間貯蔵施設」の取材のとき、いまも現地で監視活動を続けているという一人の女性が取り上げられていた。中間貯蔵施設をバックにガイガーカウンターを手に、取材に答えるその女性を見て、昂二は「アッ」と声を上げた。妻の遼子は、訝しげに「何か載っているの」と訪ねてきた。昂二は少しうろたえて「いや、この女性の持っているガイガーカウンターの値がちょっと高かったものだからね」と言いつくろった。

その女性は明らかに、城島有美であった。「何で有美がこんなところにいるんだ」昂二は、大学時代付き合っていた有美をこんなところで、こんな形で見るとは夢にも思わなかった。

有美は昂二と同じ大学で、学年は一つ下、同じ環境問題研究会に属していた。新聞記事によると、有美はグリーンピースジャパンで活動していて、核廃棄物担当になり、六ヶ所や関根浜の現状について、監視行動を行なっているという。

現在は、函館に住んでいて、チャーター船で、関根浜へやってきて、放射能レベルの測定や、中間貯蔵施設への使用済み核燃料の搬入を監視しているという。有美は新聞のインタビューにこう答えていた。

「人類が自らの手で開けてしまった核という『パンドラの箱』の最後の姿の核廃棄物。昔、大都市の人々は、自分たちの電気が原発で作られることに対して、何ら疑問を抱かなかった。2003年の『電力危機』のときもそうだった。あの時が原発や核燃含めた原子力推進のエネルギー政策を転換する最大のチャンスだったにもかかわらず、政府・電力会社・マスコミ一体となった『ブラックアウト』キャンペーンに、都市住民は恐怖を感じ、膨大な核廃棄物を生みだす、欠陥だらけの原発でも、自分たちの快適な生活のためには、動かすことを認めたの。そして六ヶ所再処理工場の大放射能漏れ事故やコストが安い新エネルギーが開発され、政府も電力業界も原子力から撤退していった。都市住民は前と変わらなく、電気を供給され続けているわ。でもその陰で、被曝により故郷を追われ、核のゴミ捨て場になった下北半島のことなど誰も忘れてしまっている。私はそういう人たちに、下北半島の現状を伝えることにより、日本が進んできた原子力という道が、どういう状況を生み出したのか、考えてもらうことが必要だと思います。そしてそれは日本のみならず、世界の人たちに訴えるメッセージでもあるんです。韓国や台湾そして中国、ベトナムを始めとして、いま世界の原発のほとんどがアジアで稼動し、その原発のほとんどは、日本の原子力産業が輸出しています。こうした下北半島の現状を日本に世界に発信し続けていかなければ、また同じ過ちを繰り返すのではないかと思っています。チェルノブイリ原発事故のとき、あの事故を不当に低く見積もり、被曝と環境・病気の因果関係を否定し、『ソ連の原発だから、日本ではありえない』といい続け、東海村臨界事故そして東電のトラブル隠しのあとも原発を稼動し続け、プルサーマルを稼働しようとし、六ヶ所の再処理工場が『欠陥工場』と判っているのに動かさせた。あの過ちを二度と日本でもアジアでも、そして世界で起こさせてはならないと考えています。ですから私は、この下北半島の現状を発信し続けているのです」

昂二は、新聞の有美の顔を見ながら16年前、有美と出逢った頃のことを思い出していた。






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最終更新日  2006年04月10日 08時33分29秒
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