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2006年04月23日
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カテゴリ:文芸情報

※これは 3年前に書いたものですから、年数など今とはあいませんが、そのまま掲載します。

私の暗黒青年時代(一)じゅんぺい

もうあの頃のことは時効だから、書いてもいいかなと思う。そう、人生でもっとも明るく輝いている年齢である高校を卒業してからの2年間は、逆に私にとってはあまり思い出したくもない「暗黒の2年間」であった。

 25年前、横浜市にある某私立大学の商学部に入学した私は、やりたくない「商学」の勉強をしに、その大学に入った。当時1977年から1978年は不況が続いていて、今ほどは酷くはないが、「大学は出ても、就職がない」という状況で、とくに文学部は就職率が悪く、私の父母は「大学行くなら経済・経営・商学でないと金を出さない」と言っていたので、本当は文学部に行きたかった私も「働きたくない」というただ単に、それだけの理由で、父母の条件を呑み、行きたくない経済・経営・商学に進むことにした。

 といっても私の学力で入れるところは、そう多くはなく、結局この横浜の私大の商学部になんとか合格できただけだった。

 やりたくない分野の勉強もさることながら、青森県出身の私にとって、まず困ったのが「友達が出来ない」ということだった。「何かサークルに入って、そこで友だちでも見つけよう」と考えていた私に、ある日同じクラスの付属高校出身のTという人が近づいてきて、「君はどこの出身、ふーん青森か、友だちは出来たかい。まだなのかい、それじゃ同じクラスということもあるし、これから仲良くしようぜ」みたいなとことを、言われて、私とTとは「友だち」になった。

 最初は、たわいのない世間話や一緒にパチンコなんかに行ったりしているうちに、ある日Tは、「君は、なんかサークル入っているの?そうまだ入っていないんだ。だったら僕の入っているサークルちょっと覗いてみない」と言われて、ある日Tとそのサークルの部室に行った。なんか、部室にある人物の写真が額に入れられており、Tが「自分たちのサークルの映画ちょっと見ていかない」とあるフィルムを見せられた。

 それはS会という宗教団体の学生部のプロモーションフィルムだった。そしてそのフィルムには、いたるところにその会長と言われる人が登場して、熱弁を奮い、優しい言葉を会員にかけていた。そして理想社会を作るみたいな話をしていた。

 部室を出て、Sは私に、「ちょっと僕たちのサークルに入ってみないかい」と誘った。私自身は、「高校時代の高校生の集い」の活動の影響もあり、某革新政党にシンパシィをもっていたために、そのことを率直に告げた。すると驚いたことにTは、いやその政党とは過去色々あったが、いま協定を結んでいて、関係は悪くないし、僕たちの会と君がシンパシィを持っている理念とは、共通するものがある」と言ったのだった。「ちょっと待って先ほどのフィルムにもある現世利益と共産主義革命に共通するものがあるって?」と驚いて質問すると彼は「そうだ。詳しくは、ちょっと僕のうちに行って、酒でも飲みながら、話をしようぜ」ということで、戸塚にあるTの自宅に、遊びにいくことになった。

 そのうちは、一家でS会に入信していて、私はもの凄いご馳走と歓待を受けた。またTのお姉さんというのが、高校の先生をやっている人で、もの凄い美人であった。この歓待と色香?に惑わされたのか、それからしばらくして、私はその大学の研究会に入った。そして、授業前の毎朝1時間。授業終わってからの夕方2時間、毎日「勤行」なるものを続けた。そして彼らの会で出版している本を購入し、その教義を勉強し、Tの家に泊りがけで行くようになり、そのうち彼らの会の地区集会とやらにも連れていかれた。そしてそこで「体験発表」なるものに出くわした。そして信者の人々の口々から、「勤行を続けていたら病気が治った」「大学に合格した」などなどこういう現世利益があったと次々に発表されていった。それはまるで何か熱病に冒されたように、集団催眠のように、集会参加者を包み込み、最後に「勤行」で終わるのであった。

 この光景を目の当たりに見て、私は率直に「怖い」と思った。ただ一心不乱に、お題目を唱えているだけで、現世利益が来て、幸福になるなんておかしいと思った。そして自分が朝晩あわせて毎日3時間も勤行をしていることが、大きな時間の無駄に思えた。

 でも、すっかりT家の一員となってしまっていた私に、そこから脱会するということは、毎日大学でTと顔を合わせるなかで、不可能だった。かくなるうえは、「大学をやめる」という選択肢しか残されていなかった。また嫌いな「商学をやめれる」という理由もあった。

 夏休みを終え、私はそのまま大学にいかなくなった。Tが心配して何回も電話をよこし、学生課で私の住所を調べて、尋ねてきて、「どうして学校に出てこないのか」と訊いた。

私は「実は商学という学問は私に合わなくて、法学部を受験しなおそうと思っている」と答え、本当の理由は言わなかった。Tは「そうか、別な大学行ってもこれまでのよう交流しようぜ」と言ったが、「大学受かるまでは、受験勉強に集中したいから、連絡もよこさないでくれないか」と断り、Tは「わかった別な大学に受かったら電話くれよ」と言い残し、Tとはそれっきりになった。

 Tが帰ったその部屋で私は、本当に、ほっとしていた。もうS会とはかかわりなくていいし、あの無意味な朝晩3時間の勤行からも解放されると思っただけでも気持ちが軽くなっていた。しかし、大学に入ってから20歳まで私の暗黒青年時代は、このS会から始まっていた。(続く)

 

 






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最終更新日  2006年04月23日 06時50分17秒
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