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じゅんぺいの潤滑ブログ

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2006年04月30日
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カテゴリ:文芸情報
我居住環境変遷史(五) じゅんぺい

 前号で、居住環境と関係のない方向に話が進んでしまったので、ここでちょっと軌道修正をして、居住環境に話を戻したい。

 88年の4月1日づけで、仙台駅勤務で東仙台駅の配属となった私は、それまで目と鼻の先の職場から、車で10分の通勤時間を要するようになった。しかも出勤時間はラッシュ対策の改札のため7時半で、朝は毎日早かった。今まで朝飯とかは、ほとんど自宅で食べていたのが、通勤途中に飯の「飯田屋」でとるようになり、また昼食も東仙台駅前の「五郎兵衛」という食堂の出前ですませるようになり、それまで自炊中心の食環境は、外食中心に変わった。

 ただよかったことが一つあった。それは不規則勤務から、7時半に出勤して16時で終われる事と土日・祝日が休みであったことだ。またお盆・正月も休みなために、実家のM市に帰ることが出来た。

 ところで、我が家に居候していた多くの仲間だが、出て行くようになっていた。それは、私の部屋に転がり込んできたのはほとんど独身であったのが、見合いや以前付き合っていた女性や仙台に配転されてから付き合いはじめた女性などと次々と結婚し、わが溜まり場の家を巣立っていったからである。

 T・Yは、実家の会津若松市の女性と見合いをして結婚し、T・Mは、前につきあっていた人と結婚した。T・Hは、私とつきあっていた女性の後輩を二人でT・Hに紹介して、二人は結婚した(残念ながら、私とその女性は別れてしまったが・・・)。そういう具合に1人欠け2人欠けしているうちに、気がつくと宿舎には私一人になっていた。

 元来寂しがり屋の私である。そこで私がとった行動は、自分が他の人のところに転がりこむことだった。当時付き合い始めたOは、仙台工場で勤めており、親父が同じ自動車の遠野自動車営業所に勤めていて国労であったこともあり、仲良くなった。何回かOやその仲間と小田原にある工場の寮の部屋や、娯楽室で飲むようになり、そのままOの部屋や娯楽室に泊まるようになった。そのうち風呂からなにから、小田原寮で済ませるようになり、16時過ぎで勤務が終わる私は、工場勤務の小田原寮の寮生が帰る前に、一番風呂にまで入るようになった。いま思うと寮生以外の人間が寮の一番風呂や娯楽室などに寝泊りできたのは不思議な話であった。誰からもとがめられた記憶はまったくない。

 いずれにしても、居候を囲う立場から、今度は自分が居候になってしまったのである。そのころ、Oと小田原寮でTVを見ていたが、なかでも三宅裕司と相原勇が司会をやっていた「イカスバンド天国」略称イカ天という素人バンド勝ち抜きの番組があり、そこから「たま」や「フライングキッズ」など多くのバンドがデビューし、バンドブームを巻き起こしたが、Oもそのファンで、2人で何回もそのビデオを見て盛り上がった。

 90年3月末で、JRを退職し、青森市に転居することになった。引越しをするとき多くの国労の仲間が手伝ってくれたが、みんなビックリ。まず引っ越しをする前に部屋のごみ投げと大掃除からはじめなければならなかったである。元来汚好き?の私は整理が苦手でさらに、貧乏性なためにモノをなげることができない。自然と他の人から見ればゴミとしか思えないものがたくさん部屋に置いてあった。手伝いにきた人は、「それもゴミだろう」と投げようとするが、私が「いやこれはこれこれこういうものだから投げられない」などと理屈をつけるものだから、「ええい面倒だ」と明らかなゴミをのぞいて、ほとんど青森市に運んだ。だから独身としては多い、4トントラック一台が、満杯になったが、その3分の1は、一般の人から見ればゴミとしか思えないものであったろう。その傾向はいまも続いているが、いまもっとも私の家のほとんどをしめているのが本・雑誌である。そう、ものすごい量になっている。今度引越しをすることを考えるとゾッとする。

 ということで、舞台は、仙台市から青森市に移るのである。(続く)






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最終更新日  2006年04月30日 08時04分30秒
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