テキテキ
芝居をマチソワと2本見に行った(マチソワとか久々に使ったなぁ)家でだらだら電気代だけ費やすよりはマシかと思ったのと、そういえば、見に行く宣言してたなとか、いつもどおり暇だしとか、包括的且つ消極的な理由により。同期だったり後輩の芝居だから出来云々はともかく、そこに確かに学生時代に自分が在った空間は在った。結局お金の問題じゃない空間なんだよね、きっと。資本主義が蔓延した世の中行き着くところには必ずお金の存在があり、現実的且つ合理的。でも、あの空間はそれよりもむしろ、自己的であり、理想的な空間を作ろうとしてる。現状、即物的な生活を送ってる自分にとっては、羨ましくもあり、やはり羨ましかった。選択は必ず何かを捨てて行われる。果たして過去に自分が捨てた選択は、今の選択に勝っているだろうか。刹那的な快楽、満悦。長期的な安定、停滞。要は現実を捨てて理想的に生きるか、自己を捨てて、合理的に生きるかなんかな。何かでうまくいってもきっとそこでどちらかを選ばなきゃいけないんだろうな。まぁ、現実的且つ自己的に、理想的な合理性をもって生きている方々もいるんだろうけれども。ある意味自分は未だモラトリアム。あと1,2年でどう生きていくか決めなきゃいかん。なんて思って、帰りに牛丼買って帰りました。