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2010.11.24
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カテゴリ:戦争映画
トラ!トラ!トラ!.jpg


20世紀フォックスが英米仏独のスタッフを結集して
ノルマンディー上陸作戦を描いた映画「史上最大の作戦」の
大成功した事により、その第2弾として
1970年に太平洋戦争の火ぶたを切った真珠湾奇襲作戦の
全貌を描いた「トラ・トラ・トラ!」を
日米共同制作映画として公開しました。

1939年9月1日、山本五十六中将(山村聡)の
連合艦隊司令長官の就任式が瀬戸内海に停泊中の
「長門」艦上で行われた。
その後、近衛総理(千田是也)が閣議を開き米国の日本に対する
経済封鎖を討議し、それに対して陸相東条英機(内田朝雄)は
アメリカへの攻撃を進言した。

一方、ワシントンの海軍情報部は日本の暗号無電を解読し
事態の容易ならないことを察知した。
そして、ルーズベルト大統領は新たにキンメル提督
(マーティン・バルサム)を
太平洋艦隊司令長官に任命し日本の動勢に備えようとした。

1941年2月、山本長官は第1航空隊の大西参謀(安部徹)から
真珠湾攻撃の参考意見を聞き空母「赤城」の名パイロット
源田中佐(三橋達也)の名を知った。

その頃、ハワイの真珠湾では航空隊のベリンジャー中将が
キンメル提督に日本の真珠湾攻撃の可能性を説いていた。

しかし野村駐米大使(島田正吾)はハル国務長官と
緊迫した両国の関係を打開しようとしたが
ハルゼイ中将らが海軍側の強硬意見にあい実を結ばなかった。

やがて両国間の通商条約は破棄され
米国海軍作戦部長はハワイを非常時態勢下に置いたが
吉川猛夫(マコ岩松)が情報収集のためスパイ暗躍していた。

そして1941年10月、東条英機(野々村潔)が陸相兼総理大臣となり
日本軍部の権力は頂点に達した。

12月2日、ハワイへ向け進航中の南雲司令官(東野英治郎)は
山本長官から「ニイタカヤマノボレ」という暗号を電受した。
いよいよ真珠湾攻撃の時が来た・・・

この映画は真珠湾攻撃にいたる日米両国の動きと
その立場を公平かつリアルに描いている事から
日本では高い評価を受け入れられた。
しかし開戦前の米国側の危機管理の甘さが強調されている事や
長尺映画なのにアクションシーンが最後だけで退屈と取られてしまい
米国での興行成績は振るわなかったのです。

この反省を踏まえた20世紀フォックスは1976年に「ミッドウェイ」
2001年に同じテーマを題材にした「パール・ハーバー」を
米国側視点で製作しました。

また本作は日本側の監督として黒澤明が参加していたが
米国側の監督で「ミクロの決死圏」のリチャード・フライシャーと
気が合わいだけでなく黒澤の脚本部分の大半をカットした事や
黒澤の事前に十分なリハーサルを行った上での撮影に
20世紀フォックスサイドから黒澤の独特のやり方に不満を抱いた為
黒澤は監督降板させられてしまいました。

代理として舛田利雄と深作欣二を新たに監督としてましたが
黒澤明のハリウッド進出のチャンスは失われてしまい
後年「済んだことであり興味がないし蒸し返すのはもう沢山で
忘れてしまいたい」との内容を伝えている。


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トラ・トラ・トラ!





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Last updated  2010.11.24 20:03:11
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