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2013.08.12
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カテゴリ:プロレス・格闘技
ジャンボ鶴田・AWA.jpg


1984年2月23日、ジャンボ鶴田が「世界の鶴田」になった。

鶴田はNWA、AWA、WWEと並ぶ
4大世界タイトルのひとつ
インターナショナル王座を獲得しており
日本人として世界最強の座に一番近い存在であった。

しかし鶴田はアメリカ3大メジャー団体の
世界王座を視野に入れリアル世界王者を目指した。

鶴田が選んだ王座はAWA世界ヘビー級
当時の王者はダーティーファイトで
長きに渡り王座を防衛し続けたニック・ボックウィンクル

鶴田は過去、ニックに4度挑戦しており
1978年2月14日、ハワイでAWA世界初挑戦。
試合は鶴田がニックへコブラツイストを決めたが
ニックが近くにいたレフリーを殴り反則負け
反則の為、タイトルの移動はなし。

1980年6月22日ではAWA圏内のミネアポリスで
鶴田が2度目のAWA世界に挑戦。
ニックが鶴田へドロップキックを放つも
レフリーが巻き込まれダウンしてしまい
レフリー不在の中、ニックのマネージャーである
ボビー・ヒーナンが乱入し鶴田を攻撃した為
ニックが反則負けを喫したが
AWAルールにより反則勝ちによる王座移動はなし。

鶴田3度目のAWA挑戦は1982年2月4日
母国日本である東京体育館で行われた。
試合は鶴田がニックへエアプレンスピンを仕掛けるも
ニックにロープを掴まれ両者場外転落、
そのまま両者は場外戦となったが鶴田が場外でも
エアプレンスピンで攻撃を続け
両者リングアウトでニックが引き分け防衛。

4度目の挑戦は1983年7月13日 北海道の
千歳市スポーツセンターで行われ
この試合でも鶴田がコブラツイストを決めてる時に
近くにいたレフリーのジョー樋口を殴り反則負け
反則裁定のため王座移動せず
ニックがまたもAWA王座を防衛した。

そして1984年2月24日、蔵前国技館
鶴田はこれが最後のAWA挑戦という思いで
自身が保持するインターナショナル王座を賭け
AWA世界、インターのダブルタイトルマッチとなった。

完全決着を求められたこの試合、
ニックのダーティーファイトを食い止めるべく
レフリーにはニックの暴挙に耐えられる意味も込めて
当時引退していた元レスラーのテリー・ファンクを起用した。

試合は鶴田が攻めるもニックのねちっこいレスリングで
ペースを崩されていたが30分過ぎ、
ニックは鶴田を背後から突き飛ばすが
鶴田の体はレフリーのテリーに激突してしまい
鶴田とテリーを場外に転落。

場外に突き飛ばされた鶴田がリングのエプロンに上がると
ニックがロープ越しのブレンバスターを仕掛けるが
鶴田は空中で体を入れ替えてバックに回り
ニックの左腰から抱えてバックドロップから
そのままブリッジしてピンフォール。

遂に日本人初のAWA世界王座奪取という偉業を成し遂げた。


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Last updated  2013.08.12 22:37:31
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