|
カテゴリ:シナリオ
1970年代後半に「地下鉄の電車はどこから入れたの?それを考えると夜も寝られないの」の フレーズで人気を博した春日三球・照代夫婦漫才コンビをご存知でしょうか。半世紀近く前に 活躍した人の話ですが、高齢の方なら覚えている方が多いと思います。二人の漫才は当時の大 人だけでなく、鉄道に興味を持つ子どもたちにも広く受け入れられました。 当時の二人のかけあいは・・・(ウィキペディアより) 三球: …しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それ考えると一晩中眠ら れなくなるの 照代: あなたも面白いこと言うわね 三球: あらかじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら「確かこの辺に埋めたよなー」 「あったぞあったぞ、電車が」なんて 照代: そんなわけないじゃないの 三球: じゃ、あなた知ってるんですか? 照代: 当たり前じゃない。地下鉄の階段から入れたんですよ 三球: え、そうなんですか? 照代: 常識よ 三球: そうなんですか。よく改札が通れましたねぇ。それ考えると、また眠られなくなっちゃう 当時は「本当はどうなの?」という子どもたちからの問い合わせが多かったようです。 1927年、浅草~上野間(現在の銀座線の一部)が開業したことにより東京の地下鉄の歴史が始 まりました。そして銀座線の全面開通は1939年でした。漫才が流行った頃は地下鉄の工事ラッ シュで都内の道路ではしょっちゅう工事が行なわれていました。そのため、地下鉄の話題は身近 に感じられていたのです。 前振りが長くなりましたが、今日の話は「地下鉄はどこから入れたんでしょう?」という疑問に 関わるものです。 お彼岸やお盆に墓参りへ行く時、老夫婦は上野駅・入谷口を出て上野6丁目にある寺へ徒歩で向 かうのですが、浅草方面に向かう途中に東京メトロ上野検車区という車両基地があります。 上野~浅草間の開業当初に造られたので、日本最古の地下鉄基地ですね。この基地の出入り口前 の道路上には日本で唯一と言われる地下鉄の踏切があります。道路上にある線路の前後にはもち ろん遮断機がありますが、これまで、この遮断機が下りている状態を見たことはありませんでし た。すなわち、これまでに地下鉄がここを通る場面に遭遇した事がないのです。 ところが、今年、秋のお彼岸で墓参した帰り道で、銀座線の車両が目の前を通る光景を目にする ことができたのです。老夫婦にとってこの踏み切りが現役であることを確認できた一瞬でした。 チンチンチンチン・・・ 夫: 何だ、この音は?アレッ、踏切の遮断機が降りてきたぞ。この踏切は現役だったのか。 オイオイ、今度は車両基地の出入り口の柵が上がった。ア~ッ、地下鉄銀座線の黄色い車 両が出てくるぞ!三球さん、ここだよ、ここから地下鉄は地下に入って行くんだ。 妻: 何をブツブツ言っているの?この踏切は使われていないと思っていたけど、ちゃんと使われ ているのね。オ~ット、写真を撮らなきゃ、カメラ、カメラ。 夫: 来た!地下鉄の車両が出てきた!これは東京メトロ1000系だ。開業当初の色に回帰して作っ た新車両だよ。ワァ~、感激! 妻: アラ、電車が出てきたところと反対側の柵がいつの間にか上がっているわよ。出てきた電車 に気を取られて全く気付かなかった。あの電車は上野駅に向かうんでしょうね。 夫: ア~、行っちゃった。あっという間のできごとだったけど、ワクワクしたよ。両側の重々し い柵が下りてきてから踏切の遮断機が上がるんだね。 妻: このあと、私たちは上野駅から銀座線に乗って赤坂に行くんだけど、今の車両に乗れないか な? 夫: それは無理だと思うけど、今後、この道を歩く楽しみが増えたことだけは確かだな。 東京メトロ上野検車区は、銀座線の車両基地で、上野駅から分岐する地上地下2層式の車両基地で す。地下の車庫は1968年に作られました。入谷口を出て浅草方面に数分歩くと、水色のゲートが 見えてきます。そこが検車区の出入り口です。 先ほど踏切の左右にあるゲートで、上下に開閉した柵が厳重そうだった理由は線路横にあるレール (第三軌条)から電気を送っているためで、これに触れると感電してしまうからです。 道路上の踏切に露出しているレールで感電することはないのか?と言う疑問が湧きますよね。 大丈夫なんです。踏切内のレールには電気が通っておらず、ここだけは慣性で電車が前に進んでい るのです。 ところで、日本一深い駅をたくさん持つ地下鉄の都営大江戸線は地下30m以上のかなり深いところ を走っているのですが、 「どうやって車両を入れたんでしょうね?」 誰か教えてください。 考えると眠れなくなってしまうのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.11.28 08:16:12
コメント(0) | コメントを書く |