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2017.05.29
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カテゴリ:シナリオ


 首都圏に住んでいる高校の同級生3人が喜寿を迎えたことを契機に始めた街歩き。首都圏
を中心に歴史探訪や文学散歩を楽しんでいます。今回、JR山手線田端駅に集まった3人が
向かったのは駅から2分の場所にある田端文士村記念館です。

ヒデ: 今回は文学散歩だ。懐かしい文豪や芸術家たちの名前が出てくるぞ。ところで、
    ここ田端文士村(北区)以外にも都内には文士村があるけど知っているかい。

ヤス: 馬込文士村(大田区)、阿佐ヶ谷文士村(杉並区)、落合文士村(新宿区)ちょ
    っと離れて鎌倉文士村というのもあるね。馬込文士村を歩いたことがあるんだ。

ヒデ: さすがだ。文士村と言われる由縁は、その地域に単に文豪たちが暮らしていただ
    けではなく、遊んだり、恋をしたり、酒を呑んだりと濃密なコミュニティーを
    形成し、結果として人々に感動を与える数々の作品を創作したという点にある。
    こんなのは世界的にも類を見ない価値だから文化遺産に登録されてもおかしく
    ないと思うんだ。

ノブ: 各文士村を代表する文豪の名前を教えてくれないか?

ヒデ: 芥川龍之介を筆頭とする田端、川端康成の馬込、井伏鱒二の阿佐ヶ谷、尾崎一雄
    の落合かな。文豪たちは転居を繰り返しているので、中心人物一人を挙げるの
    は難しい。
    さて今日歩く田端文士村の成り立ちだけど、明治22年、上野の東京美術学校
    (現・東京芸術学校)の開校が引き金で、卒業生たちは交通の便が良くて、田園
    が残る静かな田端に住むようになったんだ。明治33年に画家の小杉放菴、36年
    には陶芸家の板谷波山が窯を起こし、その後、彫刻家の吉田三郎、鋳金家の香取
    秀真らが集まり、芸術家たちの親睦会・ポプラ倶楽部が誕生している。
    文士村としての転機は大正3年の芥川龍之介の転入だ。そこへ彼を慕って室生犀星、
    菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎らの文士たちが続々と移って来た。
    この田端文士村の他とは違う特徴は1キロ四方の狭い地域に、明治中期から昭和初
    期の半世紀に約100人の文士・芸術家たちが次々と集まり、様々な人間模様を繰り
    広げていたことなんだ。しかし、昭和20年の大空襲で壊滅的被害を受けて終焉を
    迎えてしまった。

ヤス: ここが田端文士村記念館だね。入館料が無料とは驚きだ。ここで暮らしていた文士
    ・芸術家たちの業績や暮らしぶりをじっくりと勉強させてもらうよ。

3人は館内で文士芸術家たちの遺品や作品の展示物を見学した後、彼らの住居跡やゆかりの
地を、頂いた散策マップを片手に歩き始めました。

ヒデ: ここが芥川龍之介の旧居跡地だ。今は掲示板しかないけど、ここで「羅生門」「河
    童」などの作品を残している。龍之介は夏目漱石の門下生で、そのたぐいまれな才
    気と下町人の持つ世話好き気質によって慕ってくる者が多かったそうだ。

ヤス: 田端の街は道が狭くしかも坂が多いね。ここを龍之介たちは歩いていたんだね。

ヒデ: ここが天然自笑軒跡だ。割烹料亭で森鴎外・渋沢栄一らの文豪や政財界の人々にも
    愛されていた。そして、龍之介の披露宴会場でもある。向かいが楽天堂医院跡で
    龍之介の主治医であり、書家の下島勲宅だった。今では掲示板もないのが寂しいね。
    次は東覚寺に向かう。

ノブ: 何だ!あの赤紙がべたべた貼られた像は?

ヒデ: 赤紙仁王像とも呼ばれていて、江戸時代にはすでにあった。自分の身体の病がある
    所と同じ個所に赤紙を貼ると病が治る、と言い伝えられている。小杉放菴が酔った
    勢いで仁王像を倒したというエピソードが残っている。

ヤス: 俺も赤紙を貼って来るから待っていてくれ。

ヒデ: やって来たこの辺りは昔、谷田川が流れていたところで、小杉放菴、竹久夢二(画家)、
    萩原朔太郎(詩人)、堀辰雄(小説家)、田河水泡(漫画家)などが住んでいた。
    ここにある田端区民センター内にある図書館には、彼らの足跡が展示してある。
    次はポプラ坂に向かうよ。

ノブ: この道がポプラ坂だね。ここも広くはないな。

ヒデ: ポプラ坂の上にある現・田端保育園がポプラ倶楽部の跡地だ。小杉放菴、山本鼎(画家)
    らが中心で作った芸術家の親睦団体で、本格的な2面のテニスコートやクラブハウスが
    あり、垣根の代わりにポプラを植えたそうだ。この近くで板谷波山が夫婦窯を開き、
    長期にわたり創作していた。次は大龍寺へ向かう。

ヤス: 正岡子規、板谷波山らの墓所がある寺だね。

ヒデ: 板谷波山はハンサムでモテたから、奥さんの玉蘭(ぎょくらん)さんの嫉妬にはかな
    り手を焼いたようで、こりゃタマラン(玉蘭)と言ったとか・・・

ノブ: 面白い。座布団1枚だ。ところでここには正岡子規の居住跡はないけど、ここに墓があ
    るのはなぜなのかな。

ヒデ: 子規の菩提寺は上野にあったようだけど、墓にいたずらをされるのが嫌でこちらに移っ
    たようだ。それではこれから第4コーナーを回ってゴールに向かう。

ヤス: 草の陰に半分隠れた掲示板を見つけたよ。

ヒデ: この辺りに室生犀星、菊池寛らの旧居跡地であると書かれた掲示板だ。

ノブ: これで今日は最後だね。

ヒデ: いや違う。着いたぞ。ここが「♪小さい秋見つけた♪」のサトウハチロウ(詩人)の
    旧居跡地だ。これで今日の田端文士村散歩を終了とする。

ヤス: ここから千駄木方面に歩くと森鴎外記念館があるんだよね。

ヒデ: その通りだ。ここから千駄木に向かうと江戸川乱歩、夏目漱石、林芙美子、高村光太
    郎らの旧居跡地がある。この地域が文化遺産だといった理由がわかるだろう。

ノブ: 田端だけでもすごいけど、千駄木へと散策エリアを広げると,ここがいかに文化的に
    価値のある場所であるかがよく理解できるよ。

ヒデ: 田端文士村には今日紹介しきれなかった文士・芸術家が大勢いた。それはこの散策マ
    ップに書かれているから分かるよね。機会があれば探してみてください。

ヤス: 何回も下見をしたのだろうね。良い説明だったよ。ありがとうございました。

ノブ: 僕もお礼を言うよ。ありがとう。

次回は誰が、どんな文学散歩や歴史探訪を紹介してくれるのかな?
楽しみに待つことにしましょう。





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最終更新日  2017.05.29 08:22:55
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