|
カテゴリ:スピリチュアル
一人ではさびしくてたまらないという人がいる。
どうしてさびしいのだろう? 一人では居たたまれないということだろうか。 いつも誰かと一緒でないと落ち着かないということだろうか。 生まれてからずーっと誰かと一緒だった。 だから、一人になるとさびしい? のかもしれない。 そういう人が、さびしくなくなる方法は一つしかない。 それはさびしさと一緒にいること。 さびしさと一緒に居切ること。 そうすれば、さびしくなくなる。 それにはかなりの覚悟がいるかもしれない。 気合いを入れてかからないと、さびしさに負けてしまう。 でも、一人静かにしているのもいい。 静かにしていれば、自分の中にすべてがある。 何も外に求める必要はない。 すべて自分の中で完結している。 自分の中にあるものを、ただ外に表現しているだけ。 自分の裡にあるものを、外で確認しているだけ。 だから、静かにしていれば、自分の中で完結する。 別に外に求める必要はない。 心が落ち着かないので、外に求めてしまう。 深く深く裡へ向かえば、自分の中で落ち着く。 始まりも終わりもない静かな空間に溶け入る。 そこにいれば、一人も二人もない。 すべてはひとつ。 ただ万感の愛があるだけ。 外に求めている限り、満たされることはない。 それは欲望と同じ。 物を求め、異性を求め、権力や金力を求めても、永遠に満たされることはない。 なぜなら、その求める心そのものが、満たされていないから。 一つのことが満たされても、求める心がある限り、次のものが欲しくなる。 外に求める心がやまない限り、永遠に満たされることはあり得ない。 何も求めない時にのみ、満たされる可能性がある。 なぜなら、何も求めないこと自体が既に満たされているから。 何もない。 すべてがある。 外に求める心がやんだ時、何もなくても、すべてがある。 その時にのみ、無限の静寂の中で満たされる。 もう何もいらない。 自分自身がすべてだから。 これが257日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|