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2006年09月18日
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カテゴリ:つぶやき
 今日も何もない休日。おウチでのんびり。


 13日に「安倍政権でこうなる?」ってのを書いたけれど(これ)えーと、「側近」(って、麻生氏を推薦してる一年生議員が側近なワケないだろ! とか思いつつ……)がどんな電波を飛ばそうが、ご本人がしっかりしていれば無問題なわけで。
 やはりここは大ベストセラーとなっている『美しい国へ』を読まなきゃいけないかなぁ、と思って買ってきました。

『美しい国へ』 (安倍晋三著 文春新書 本体730円+税 ISBN 4-16-660524-0)

 これからじっくり読んで、感じたことを書いていこうと思います。
 奥付見ると第6刷になっていますね。
 40万部かぁ……一冊100円前後の印税だろうから……かなりの収入になりますね。わたしも貢献しちゃった。こんだけ売れ行きの“堅い”本なんだから、もっと定価下げられるだろうに……。
 党員140万でしたっけ。まだまだ売れるんだろうなぁ。

 何日かかけて、かいちょー流にコメントしていきます。
 批判的な先入観を持って読んでいくので、どうしても色眼鏡のかかったものになるかと。
 
 で、引用+コメントという形式は、著作権法に抵触する可能性があるかもしれません(引用がかなり多くなるものと思われますので。本当は内容の要約をみなさんに紹介したかったのですが、さすがに二次的著作物になってしまうでしょう)。
 わたしとしては、「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で」引用を行っていくつもりではあるのですが、正直、自信はありません。

 文藝春秋社、著者など著作権者の関係者から、著作権法上の疑義が提示されれば、すぐに全文を削除する用意があります(その際は、どのような形式の引用であれば許諾いただけるかもご意見いただければ幸いです)。

 なお、章タイトル(★印)と見出し(●印)も原文のままですが、見出しはごく一部だけしか書いていません。各章、10から20ほどの見出しがあり、それぞれ1、2ページの文章のリードになっている、という構成になっています。


●はじめに――「闘う政治家」「闘わない政治家」
「「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。」

「初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォー・ジャパン」という国民の声に耳を澄ますことなのである。」


*「闘う」「闘わない」の二分法で、しかも「そうありたいと願っている」レベルなら、どんな政治家だって「闘う政治家でありたい!」と主張するんじゃないかな……。

 まあ、安倍さんは昔からけっこう思い切った発言をされていましたので、「闘う政治家」なのは間違いないと思います。
 多数の反対意見が予想されても、自分が「日本のためになる」と信じたことは堂々と主張する。素晴らしいと思います。どうか、その態度を貫いてください。(「堂々と主張する」のと、「無理やり強行する」のは別ですよね?)

「総裁候補は靖国参拝についての態度を明確にすべき」とか、「ICBMでも核兵器でも、保有することに憲法上の問題はない」とか、昔のように堂々と主張していただきたいと願います。総裁候補になった途端、のらりくらりと言質取られない発言が多くなったような気がするのはわたしだけでしょうか。

★第一章 わたしの原点
●「保守主義」の言葉の持つ語感
「では、お前はどういう考えの持ち主なのか、と問われれば、わたしはこうしたアメリカでいわれる「リベラル」ではない。「保守主義」、さらにいえば「開かれた保守主義」がわたしの立場である。」

「小さな頃から、祖父が「保守反動の権化」だとか「政界の黒幕」とか呼ばれていたのを知っていたし、「お前のじいさんは、A級戦犯の容疑者じゃないか」といわれることもあったので、その反発から、「保守」という言葉に、逆に親近感をおぼえたのかもしれない。」



*イギリスやアメリカの「リベラル」ではない、わたしは「開かれた保守主義」で行くぞ、の言やよし。

 ただ、ご自身がなぜ「開かれた保守主義」なのかを説明するのに、「家族が悪く言われた反発で」と読めてしまうのですがいいのでしょうか? まあ、後からまともな説明があるのでしょう。
 文章の流れからすると、「開かれた保守主義」の説明もここにほしいと思うけどなぁ。きっと、この本を読むような方々には自明なのだろうし、おいおい明らかになっていくのでしょう。

●うさんくさい気がした「安保反対」の理由
「高校の授業のときだった。担当の先生は、七〇年を機に安保条約を破棄すべきであるという立場にたって話をした。」

「わたしは、安保について詳しくは知らなかったが、この場で反論できるのは、わたししかいない。いや、むしろ反論すべきではないか、と思って、こう質問した。
「新条約には経済条項もあります。そこには日米間の経済協力がうたわれていますが、どう思いますか」
 すると、先生の顔色がサッと変わった。《岸信介の孫だから、安保の条文をきっと読んでいるに違いない。へたなことはいえないな》――そう思ったのか、不愉快な顔をして、話題をほかに変えてしまった。」

「中身も吟味せずに、何かというと、革新とか反権力を叫ぶ人たちを、どこかうんさくさいなぁ、と感じていたから、この先生のうろたえぶりは、わたしにとって決定的だった。」



*家族が悪玉にされりゃ、そりゃ反発しますよね。防御的になって当然。

 この勉強不足の教師のように、時代のムードに流されて、ろくに勉強もせずに尻馬に乗る人が多いのは事実でしょう。それは「革新とか反権力を叫ぶ人」に限った話ではありませんよね。

 で、この先生の情けない態度が、安倍さんのどのような考えを「決定的」にしたのでしょうか。
「中身も吟味せずに声高に叫ぶ人たちは顧慮する必要なし」ってことだったらいいのですが、どうもそう読めない。
「思慮に思慮を重ね、中身を吟味して政策を決めているのだ。それに反対する革新勢力やマスコミ、進歩的文化人と呼ばれるような輩の主張は“うさんくさい”」と、きわめて情緒的・印象的な判断で切り捨てているように感じられるのです。

 前段の「保守」に親近感を覚えた理由といい、安倍さんは「保守主義」の正しさや、安保反対の主張の間違いについて、理論を積み上げて自説を展開したり、意見の異なる人を説得したりすることを端から放棄しているように思えます。

 無論、情緒や感情はとてもとても大切なもので、自己の信念がそうしたものから生まれてきたってかまわないのです。
 ただし、政治家が自著で世に問う態度としてはいかがなものか。
 理をもって人を説得するのは難しい。難しいけれど、それをやるのが政治家の使命じゃないのかな。

 情をもって賛同者を増やすのが日本的政治の日常風景なのかもしれない。けれど、少なくともわたしは、安倍さんの抱いた情緒、“うさんくささ”といったものにたとえ共感できたとしても、その情緒をもとにした政策に理の裏づけがない限りは、説得されたりしません。

「わたしはこう感じた。わたしは正しい。わたしに共感できないのは間違っているからだ」と聞こえてくるのは気のせいでしょうか。

●隷属的な条約を対等なものに変えた
「祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。
 間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった。」


*安倍さんは、岸信介がなぜ批判され、その政策になぜごうごうたる非難が浴びせられたのか、思いを巡らしたりはしないのでしょうか。

 自分が正しいと信じることを、いかなる反対があってもやり遂げる。
 とても美しく聞こえます。そうした姿勢を政治家に求める人も多いのでしょう。
「どれほど反対があってもわたしは負けない。多数決論理では衆愚に陥るだけのこと。真剣に国を思い、思慮を重ねたエリートたるわたしの考えが正しい。わたしが国の行く末を決める」
というのも、考え方としては“アリ”ですよね。

 それは、議会制民主主義の、現実の姿でもあるのでしょう。
 ひとつひとつの法案を国民投票で決めるとしたら、廃案になるものも多いかもしれない。けれど現実は、政府与党が出した法案が当然のように可決されるわけで。

「少数意見の尊重」という大義名分をどれほど尊重しようとするか。
ある法案が、もしかすると国民の過半数の反対するものであるかもしれないとき、どのように対処するか。
 そうした場面での政治家の姿勢をわたしは重視したいし、議会制民主主義の根底を支える理念だと思うけれど、システムはそのようなものを尊重することを求めていないわけで。

 過半数の議席を占める与党が、思い通りの法案を次々通していく。野党の意見など気にすることはない。思い通りの政策を推し進め、結果として次の選挙でもまた勝つことができれば、それでよし。

 それが現実なんだよね。じゃあ、やっぱり、選挙で勝たせないことしか、わたしたちにできることはないってことになっちゃう。

 そういうことだよね。

(ここまでで、まだ1割も読めてないよー。いつまでかかるんだろう。果たして根気が続くものやら……)





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最終更新日  2006年09月19日 07時28分18秒
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