|
カテゴリ:カテゴリ未分類
龍馬の盟友だった武市半平太について、もう少し綴ってみます。
土佐勤王党を結成して土佐藩に帰国した武市は、龍馬等の賛同を得て、土佐藩内で改革に乗り出した。 土佐藩の公武合体政策の推進者・吉田東洋を暗殺し、自らの主張する一藩勤王を実現しようとしたが、容堂の激怒を買った。 一旦は容堂の弟の山内民部の取りなしで、事は収まったかに見えたが、文久三年の勤王党員・間崎哲馬の事件や、天誅組の挙兵、8月18日の政変と、土佐勤王党の関係した事件が続き、公武合体を主張する容堂は勤王党への弾圧に乗り出した。 次回は、土佐勤王党の弾圧について綴ってみます。 次に吉田東洋と天誅組の挙兵で一命を落とした吉村虎太郎の肖像画を掲げておきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/02/14 09:31:32 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|