陰陽師と神主
昨晩もそうだったのですが、飲みに行って友達の友達など初めて会った人には大抵、自分が「神主」をやっているというと「陰陽師なんですね」と勘違いをされます。少し前に映画も公開したりと一時期話題になっていた「陰陽師」ですが、根本的に「陰陽師」と「神主」とは別のものです。双方の祭典を行う際の服装が似ていて、神主でも家相をみたり姓名判断が出来たりする人が多かったり、更には、陰陽師の大家である安倍晴明が祀られている晴明神社があるぐらいなので陰陽師と神主が同一視されるもの仕方ありません。では、一体「陰陽師」と「神主」は何が違うんだ!という事ですが、この事について少し説明してみます。本来、古代の令制下において、「陰陽師」は陰陽寮(おんみょうりょう)に置かれた官職であり、中国伝来の陰陽五行説に基づく特殊な占法により国家や個人の禍福吉凶を占い、それに対処するための方術を施す祈祷者のことを言いました。簡単に言うと星や暦を元に様々なことを占う役目が「陰陽師」です。それに対して「神主(神職)」は、宮中や各地の神社で神祇祭祀を専ら掌る役目があり、神祇官という陰陽寮とは全く別の官職でした。しかし、この別の役目を持っていた「陰陽師」と「神主」が時代の流れとともに神道と陰陽道の行事・内容に習合が見られ、中世には、陰陽道があたかも神道の一流派として考えられるようにもなりました。その後、平安中期に陰陽道の大家である安倍晴明を祖とする土御門(つちみかど)家が江戸時代に各派の神道説を取り入れ、土御門神道として一派を成し、各地の陰陽師を支配しました。明治時代、同3年の太政官布告により、土御門神道が禁止されると陰陽道は衰退しますが、行事・内容の一部が神道の中に残され現在に至っています。恵方詣や鬼門除けなど神道の行事に陰陽道的な内容を見ることが出来るのも、こうした理由によるものです。こう見ると、本をただせば別々の2つですが時代の流れの中で変化を見せていった結果の同一視ということを考えれば、ある意味「陰陽師」と呼ばれるのも間違いだとは言い切れないのかもしれませんね。最後にあくまで「神主」は、神に仕え感謝の念をもって古代より伝わる祭祀を途絶えることなく行っていくことが真の役目であります。