クォ・ヴァディス 43-4
註※このページは、本来「覚醒都市DiX」で公開する予定の「幻想水滸伝4」二次創作小説「クォ・ヴァディス」の改定ページ、新規ページを、サイトに先駆けて公開しています。 そのため、後に「覚醒都市DiX」で公開されるものとは内容が変更される可能性があることをご理解ください。クォ・ヴァディス 43-4 ラインバッハ二世との心のこもらぬ朝食を終えたあと、クレイは自らのオフィスとしている港に近い施設に赴いた。 ラインバッハ二世は小高い山頂にある王宮に活動拠点を置いたが、クレイはそこに落ち着こうとはせず、この立地の距離の差が、そのまま二人の心の距離の差である、と見る者もいる。 二人が四六時中行動をともにしないのは、実務的な意味がないわけではない。 想定外のトラブルによって、二人が同時に倒れることを防ぐためだ。クレイかラインバッハ二世、どちらかが残っていれば、残ったほうが倒れたほうの目的を受け継ぐことができる。 無論、残ったほうが倒れたほうを心から悼むかどうかは別の問題であるし、別々の責務を担っている関係上、同時に行動するような時間的な余裕があったわけでもないが。 クレイは午前中にいくつかの報告を受け、書類を決済し、現場の作業の状況を自らの足で視察した。 クレイへの好悪の反応はともかく、彼の仕事ぶりを公然と非難できる者はいなかった。クレイ自身、非難の口実を外部に見せることもなかった。 逆に「そこが可愛げがない」という非難――というより悪口――もあったが、クレイは自分が人に好かれるような人間でないことを、自分でよく理解していたようで、そのことについて口にしたことはない。 クレイが次々と出す指令を受けた兵士が敬礼して去っていくなか、それと入れ替わるように、クレイの前に一人の偉丈夫が現れた。 鉄灰色の髪とあざ黒い肌、いかつく四角い顎を持つ、長身の中年男性である。 ラインバッハ二世に味方している旧クールーク勢力のトップ、ヤンセン提督であった。 彼は先のオベル・ラズリル連合海軍との決戦においてミドルポート艦隊の指揮を執り、かろうじて敗れはしなかったものの、頭に血を上らせて無残な結果を残した。 激怒したラインバッハ二世は、ヤンセンを更迭しようとした。これはクレイの助言によって思いとどまったが、結局は、戦死者の喪が明けるまで現職のまま謹慎、という処分となり、事実上の更迭とかわりない状況にあった。 そして今日、あらためて許され、更迭を解かれて現場に復帰したのである。 ヤンセンとしては喜んでもいい状況のはずであったが、彼は不機嫌であった。自分の敗北にも納得していなかったし、自分の復帰をもっとも後押したのがグレアム・クレイだった、という事実も不愉快であった。 ヤンセンは、朝から不機嫌な顔をしていたが、クレイを見ると、不機嫌の度合いを百倍にしてそれを隠そうともしなかった。 あからさまな舌打ちを抑えただけ、まだ気を利かせたのかもしれない。 クレイは彼を見ると、事務的な表情で頭を下げ、機械的な動作で握手を求めた。ヤンセンはそれに応じなかった。「これはヤンセン提督、あらためての復帰、おめでとうございます」「いたみいる」 きわめて心のこもらぬ言葉の応酬は、にらみつけるようなヤンセンの視線でさらに鋭くなっていた。 ヤンセンが、少し大きな声で問う。「クレイ、あんたが俺の復帰を後押ししてくれたことは聞いている。 一応、マナーだから礼は言っておくが、だからと言って、俺に貸しを作ったと思うな。 俺がこんな田舎まで来たのは金銭(かね)のためであって、あんたの道具になるためではない」「ご随意に」 動じないクレイが面白くなかったのか、彼の真意が読めなかったのか、ヤンセンは今度こそ舌打ちをすると、不機嫌な足取りで、大またで去っていった。 クレイがオフィスに戻ると、彼は秘書官から来客の存在を告げられた。 彼を待っていたのは、先ほどのヤンセンとは雰囲気が異なる男だった。 鋼鉄の塊のようなヤンセンの剛毅さではなく、スマートで俊敏そうな長身と、やや長めの黒い髪を持っている。 しかしクレイは、その男がかなり闇に近い空気を纏っていることを感じ取ることができた。 槍でも入っているのだろうか、背中にやけに細く長いバッグを提げている。 その男は、腕を組んで壁に背を預けて座ろうとはせず、クレイも無理に席を勧めようとはしない。 それどころかそのまま自らの仕事机に向かい、まるで男がその場に存在していないかのように、黙々と書類に目を通す。 黒髪の男も、言葉を投げかけることもなく、不自然な沈黙が室内を支配した。その沈黙に比例するように、室内の緊張感は一秒ごとに増していく。 耐性のない人間ならば、いつ逃げ出してもおかしくない沈黙と緊張。だが、その原因となっている二人の男は、視線を交わすこともせず、表情も変えようとしない。 クレイが書類をめくる音だけが、しばらく室内に響いた。 十五分。ようやく、男が口を開いた。「……ヒクサク様は、軽々しく御名を使われることを好まぬ……」 その一言を発した後、また男は口を閉ざした。 クレイは、その言葉の意味を理解していたが、即座に反応はしなかった。 さらに数枚の書類に目を通し、ペンを走らせ、書類をめくる。 その動作を続けながら、たっぷり間をおいて、クレイも口を開く。「ファレナ貴族を釣り上げることに、ヒクサク様のお名前を借りたことですか。 ハルモニアの禄を食むものとして、軽率な行動だと仰りたいのですかな」 クレイはようやく手を休め、椅子に体重を預けながら、初めて男に視線を固定させた。 男は顔を下げて表情を隠し、クレイの顔には不実の笑みが浮かんでいる。表情から本心をさぐることは困難だった。「お言葉ですが、今回の件に関しては、私はヒクサク様に自由な裁量を与えられている。 そのことは、「組合」の長老たちも承知のうえのことだと思っていましたが?」「……………………」 男はすぐには答えない。慎重な性格であるのか、無口なのか。 それとも、言質をとられぬように言葉を選んでいるのか。「……誰も彼もが、貴様の甘言を信じていると思わないことだ。 貴様の行動が、少しでもハルモニアにあだなす時は……」「そのご自慢の得物で、私を射殺いたしますか? ナ・ナル島の若者を射殺したときのように……」「……………………」 男の殺気が、瞬間的に増大したのを悟って、クレイが言葉を濁した。「冗談です。あれは私が依頼したこと。 あなたは常に自らと「組合」の使命に忠実なだけ……」 再び室内を沈黙が支配する。 春から夏にかけての陽気は、二人の関係性まで暖かくするものではなかった。 クレイの言う「組合」とは、ハルモニアの特殊ギルド「吠え猛る声の組合」のことだ。 ハルモニアの対外政策における特殊工作を一手に担いながら、神官長ヒクサクの直轄機関というわけでもなく、ヒクサクに対しては、常に一定の距離を置いている。 もっとも、その徹底した秘密主義のゆえか、外部の人間からは「ハルモニアの犬」などと、誤解に基づいて揶揄されることも少なくない。 その組合は、この黒髪の男と、そしてクレイの現在の母体でもあった。 数分の沈黙の後、今度はクレイが言った。「「吠え猛る声の組合」は、ヒクサク様の直轄組織ではなく、政治的には完全な独立性を保っていると聞きました。 ハルモニア政府の要請に応じて協力することはあっても、それは組合がハルモニアの手先であることを意味しない、ともね」「……なにが言いたい」 男の声色は、会話が進むごとに低くなっていく。 ただでさえ少ない言葉が、凄みを増しているようにも思えたが、クレイは意に介した様子もない。「しかし、その組合の中にあって、あなたの存在は異質です。 ヒクサク様への一途な忠誠を持つ者が、組合に皆無というわけではないが、あなたの忠誠心は跳びぬけている。 私は興味があるのですよ。あなたがなぜ神官将の道を自ら閉ざし、あえてこの組合を選んだのか。その理由にね」 クレイはわざとらしく顎に手をあてて、黒髪の男の様子を観察する。 男は腕を組んだまま、顔をわずかに下げた。髪が目元を覆い、その表情をさらに読みにくくする。「……まさか、貴様から異質などと言われるとはな……」「不本意ですかな?」 クレイが問う。 男は何も答えないまま、クレイの執務室を出て行ってしまった。 それまでの剣呑な空気が嘘のように、春と夏の間の陽気が室内を満たした。「言いたいことは言った、というわけですか。それにしても……」 クレイは思わず肩をすくめてしまう。「ヤンセン提督といい、私も嫌われたものだ」 そうして、クレイは書類の整理を再開した。