|
カテゴリ:言葉
文章講座を開きませんかと言われた。
「人の憂いは師となること」ながら、 コミュニティ活動で社会還元するのはいい。 こういう考えに変わったのは、 横浜市産業公社主宰のセミナーを受けたからだ。 最初はビジネスセミナーのつもりだった。 行ってみたらコミュニティビジネス。 わがまま勝手に生きてきた私にコミュティ? もっとも遠いジャンルではないか。 セミナー受講の動機は不純だった。 「もうメチャクチャ高い」税金を取られた(納めて)ので、 安い受講料のセミナーで取り返してやろうと思ったのだ。 同じ動機で、スポーツセンターへも通った。 海の見えるセミナールーム、 温水プールやシャワールーム、ジムや医師常駐の快適なスポーツセンター。 税金はこういうところに使われていたのね! 学校好きの私はセミナーを受講しつづけ、 ついに洗脳された。 「地域の課題を解決する」ビジネスから、 コミュニティのだいじさを学んだらしい。 姉は週3回、福祉事業所へボランティアに出かける。 熱中症多発の夏もインフルエンザ流行の冬も。 私も一つぐらい役に立つことをしましょう。 殺人やいじめのニュースに、 人間関係が下手になったと思う。 言葉のかけかた、訴え方が訓練されていないのだ。 かつて言葉は、家庭で身につけて育った。 それが「お水」の一言で 「お母さんお水ください」を表すようになった。 駅の窓口で高校生を見た。 「忘れもの」 「何を忘れたの」 「かばん」 「鞄って通学鞄?」 「う(ん)」 「どこに忘れたの」 「階段の下」 「どこの駅の階段」 とつづくのである。 おまえ(失礼)は3歳の子供か? 「鈴木と申しますが、~駅~番線ホームの階段下に通学鞄を忘れたのでお願いします」 くらいは言えよ。 文章教室の前に会話教室が必要かも。 その前に自分のブログを添削しろ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[言葉] カテゴリの最新記事
|