心配していた雨も昨夜のうちに上がり、門撲(かどふさ)神社
境内での曽爾の獅子舞見物が出来そうな天気に成った。
朝8時に門撲神社に到着、獅子舞に先立て行われた神社の20
ぶりの改修を祝う氏子の行事を見学した。
氏子の家族が舞台に登り家内安全を祈願するもので、子供たち
も揃いの法被を着て木の小槌を持っている。
その後、曽爾村の獅子舞の行事がスタート。
旧知の曽爾の獅子舞奉舞会のKさんの説明を聞きながら、見学
する事が出来た。
曽爾の獅子舞の歴史は古く、大字長野の民家で発見された古文
書によると、享保3年(1718年)に「五穀豊穣と家内安全
のために神前で獅子舞を舞う」と書かれていた。
8年後には300年になる。
伊勢の国(今の三重県桑名市)に大字長野の人が行って、伊勢
神楽を習って来たのがルーツで、1979年には奈良県無形文
化財の指定を受けている。
曽爾村の9大字のうち、現在は3字が獅子舞を保存しており、
体育の日の前日の日曜日に、8大字の神様をお祭りしている門
撲神社で3大字合同の獅子舞の競演を見学できる。
獅子舞の種類も、神楽系、剣系、粗舞い系、獅子踊り系、曲芸
系(接ぎ獅子)と各大字で特有の組み合わせもあり、とても複
雑である事を知った。
曽爾の獅子舞は衣装に特徴があり、袴に白足袋、神戸下駄とそ
の優美さに目を惹かれる。
3Hを越える長丁場の中、次々と出し物が登場、時間の経つの
も忘れて曽爾の獅子舞を堪能できた。
スタートは各大字の獅子神楽が門撲神社に順次登殿。
次いで境内の広場で、各大字の獅子舞が順次繰り広げられた。
伊賀見奉舞会、長野奉舞会の演技と続く。
途中、背後の神社にスコと呼ばれる、餅と柿とけいとうの花を
飾った重い供え物を担ぎあげる行列が続いた。
人身御供の身代わりに成るものとの説明を聞かされた。
神楽系、剣系、粗舞い系の演技を楽しんだ後、子供たちも登場
する獅子踊りが始まった。
獅子と天狗と道化が登場するコミカルな踊りに観客も沸いた。
天狗が妖力を使って獅子をおとなしくさせるストーリーで、村
人をあらわす道化がこわごわそのまねをしている。
獅子舞も佳境に入り、見物客と踊り手の一体感も高まる。
獅子舞のフィナーレを飾るのが、アクロバティックな接ぎ獅子。
上、台、後持ちの三人で演じる接ぎ獅子は体力と熟練の技が求
められる舞で、女形の衣装に化粧もしている。
台は上を肩に乗せ、上の足の親指だけを交差した手で握るだけ
で、バランスを取るための呼吸がポイント。
踊りは、神楽系、剣系、花魁道中も組み入れられ、曽爾村の獅
子舞の集大成とも言われる熱演に観客も拍手喝采の連続だった。
獅子舞の終了後に、舞台から餅撒きがあり、カメラを持って居
た事もあり、3個しかゲット出来なかった。
運動神経に優れた同行のKさんは、15個も受け止めていた。
曽爾村の獅子舞は本当に素晴らしい郷土芸能であり、リピータ
が毎年やってくるのも頷けたが、本来は地元の人が集って、豊
作を祝う行事であると言う視点から見ると、見物席の最前列の
椅子に腰かけて居るのが、都会からのカメラマンばかりと言う
現状は考えさせられた。
郷土芸能、特に地元の人の喜びの場とも言えるお祭りを観光資
源として売り出す事の是非は、村の観光収入に繋がる経済活性
化と村人の喜びの場であると言う両面から考える必要が有りそ
うだ。
獅子舞見学後に、昨日は行けなかった曽爾高原に出掛けた。
ススキの原を散策する大勢の観光客を見掛けた。
残念ながら、夕焼けの時間まで滞在する事は叶わなかったが。
ススキのピークは来週末頃か。
この広大なススキの原を眺めて居ると、旧伊勢街道沿いのトタ
ンを被ってしまった多くの旧茅葺民家の復興を願う気持ちが沸
々と湧いて来た。