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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き
午前3時半ごろ目覚めて、床に入ったままスマホで高江のニュースを見る。高江の人びとに振るわれる機動隊の暴力が生々しく映し出される。マスコミのニュースサイトではない。SNSを通じて流れてくる映像だ。
何も考えず、半そでシャツのままデモに出かけてきたが、少しならず寒い。見渡せば、半そでの人は少ない。ほとんどが長袖シャツである。私と違って、たいていの人は気温に合わせて服装を選んでいるのがよくわかる。何を着ていいのかわからなくなってひとしきり妻に嘲笑されるのが、季節の変わり目の恒例になっている私とは大違いのようだ。 遠く県北からしばらくぶりで参加された方が、原発慎重派の候補者が勝った鹿児島の県知事選挙に触れて、宮城県でも選挙で脱原発へと動かしていけたら、と挨拶された。 「大MAGROCK vol.9」に参加された二人の報告もあった。7月16、17日の両日にわたってロック・フェスティバルと大間原発反対現地集会が開催された。北海道から多く参加されていたのが印象的だったという。 今日も最後に司会者から私への質問の時間があった。集会の時間が余りそうになった時の時間稼ぎである。
元鍛冶丁公園から一番町まで出る道はそんなに長くはないけれども、国分町や稲荷小路を横切る狭い道なので、大勢の通行人はデモの列のすぐ間近を歩くので、いやでもデモの注目度は高くなる。
デモの列に前後して写真を撮りながら、一枚の写真を思い浮かべていた。ジル・キャロンの《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、1968年5月6日》 [1] と題する写真である。
デモはいつものようにとても元気に進み、青葉通りに入る。国道4号の大通りを越えれば、もう解散地点である。沖縄・高江の映像がもたらす感情をうまく処理しきれないままに歩いていたが、コールをあげていると少しは気分が和らぐのだった。
若いころからしばしば寺山修司のこの歌を思い浮かべて、「愛するに足る祖国であるか」、「愛するに足る〇〇であるか」という設問を立てていた。日本で生まれたという単純な事実のみで無媒介に祖国愛とか愛国心に突き進む心性がいかに歴史を誤ったかはあまりにも明白なので、寺山修司のこの歌でみずからが帰属するものから少し身を引き、踏みとどまるのはけっして悪いことではないと思ってきた。
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歩世亜さん
>今晩は! > >少なくとも自公政権が続く限り、沖縄も原発も危険が増すばかりですね。 ----- そう思います。 いずれ、現在の非民主主義的な政治のやり口はもっと様々なことで行われて、沖縄と原発ばかりではなく、私たちの暮らしのあらゆるところで圧政が強まるでしょう。 一日も早く、憲法を守り、憲法で保障されている民主主義を実行する非自公政権が望まれますが、今の野党ではもう少し時間がかかるでしょう。 せめて、自公の圧倒的多数を切り崩す程度の結果が次の総選挙で出るといいですね。 そのためには、現在の野党共闘、統一候補の擁立をせめて次の総選挙でも実現してほしいと願っています。 (2016.07.24 20:13:46)
おはようございます
原発も、未来から見れば”過ちの産物”と認識される古い時代を生かされてる、無念さを痛感します。 (2016.07.25 09:37:54)
逆立ち天子8880さん
>おはようございます >原発も、未来から見れば”過ちの産物”と認識される古い時代を生かされてる、無念さを痛感します。 ----- 人間が発見したものは、すべて進歩につながるわけではない。 その最たる例として歴史に語り継がれるのが、原水爆と原発でしょう。 (2016.07.25 11:59:33)
hdyondr さん
こんにちは(*^。^*) 『ポンピドゥー・センター傑作展』行かれたのですね。 パリに行ったときにポンピドゥー・センターがお休みだったのが心残りで・・・。 心に訴える作品、自分が作り出せたら・・・と思ったこともありました。 (2016.08.01 17:44:44)
元お蝶夫人さん
>hdyondr さん >こんにちは(*^。^*) > >『ポンピドゥー・センター傑作展』行かれたのですね。 >パリに行ったときにポンピドゥー・センターがお休みだったのが心残りで・・・。 >心に訴える作品、自分が作り出せたら・・・と思ったこともありました。 > ----- それは残念なことでしたね。 一人一作品、一年一作品という構成の美術展で、ビッグネームがずらりと並んでいるのは圧巻でした。 (2016.08.01 18:54:10) |