テーマ:大東亜戦争(217)
カテゴリ:政治 政治史 行政
本日は「ディベートからみた東京裁判」より「東條英機」後編。 東條英機は拳銃で胸を撃ち自決を計るが一命を取り留める。死ななかったことに対する批判もあったが、今から見るとこれは僥倖であったと思う。 もし自殺で死んでいればいまだにヒットラーと同列に見られていた可能性は高かっただろう。生き延びて東京裁判で堂々と日本の立場を主張し、自ら敗戦の責を負おうとしたことによって名誉回復の機会が与えられた。 東條英機に対する「歴史」という名の裁判はこれから始まるのであろう。 ローガン弁護士「天皇の平和に対するご希望に反して、木戸侯爵が何か行動を取ったか、あるいは何か進言したという事例を一つでも覚えていますか」 東條英機「そういう事例はもちろんありません。私の知る限りにおいてはありません。のみならず、日本国の国民が、陛下の御意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。いわんや日本の高官においてをや」 キーナン検事「日本国民で、天皇の命令に従わないものはいないと、あなたは言いましたが、それは正しいですか」 東條英機「それは私の国民としての感情を申し上げました。責任問題とは別です。天皇の御責任問題とは別の問題です」 キーナン検事「あなたは米英蘭と戦争をしたではありませんか」 東條英機「私の内閣で戦争を決意しました」 キーナン検事「その戦争を行えというのは裕仁天皇の意思でしたか」 東條英機「ご意思に反したかも知れませんが、とにかく、私の進言 ─ 統帥部その他責任者の進言によって、しぶしぶご同意になったというのが事実でしょう。しかして、平和御愛好の御精神は、最後の一瞬にいたるまで、陛下はご希望を持っておられました。なお、戦争になってからにおいてもしかりです。その御意思の明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅にその文句が付け加えられております。しかも、それは陛下のご希望によって、政府の責任において入れた言葉です。それはまことにやむを得ざるものなり、朕の意思にあらざるなりというふうな御意味の御言葉があります」 終わりに臨み 「終わりに臨み ─ おそらくこれが当法廷の規則の上において許される最後の機会であろうが ─ 私はここに重ねて申し上げる。日本帝国の国策ないしは当年合法にその地位にあった官吏の採った方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。一歩は一歩より進み、また適法に選ばれた各内閣はそれぞれに相承けて、憲法および法律に定められた手続きに従い、事を処理していったが、ついに我が国は彼の冷徹なる現実に逢着したのである。 戦争が国際法より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任如何との問題とは、明白に分別出来る二つの異なった問題である。 第一の問題は外国との問題であり、かつ法律的性質の問題である。私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられた国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。私は未だかつて我が国が本戦争をなしたことを持って国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、また敗戦国の適法なる官吏たりし者が個人的の国際法の犯人なり、また条約の違反者なりとして糾弾せらるとは考えたこととてはない。 第二の問題、すなわち、敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任である。この意味における責任は私はこれを受諾するのみならず、衷心より進んでこれを負荷せんと希望するものである。 昭和二十二年十二月十九日 於東京、市ヶ谷 供述者 東條英機 立会人 清瀬一郎」 祖父東條英機「一切語るなかれ」「沈黙、弁解せず。一切語るなかれ」を家族に遺し、東條英機元首相はすべての責任を負い処刑台に登った。戦後五十年、その掟を解き、孫娘がここに記す東條家の戦中戦後。 大東亜戦争の真実「東條英機宣誓供述書」封印されたGHQ発禁第一号!「断じて日本は侵略戦争をしたのではありません、自衛戦争をしたのであります」連合国側にこそ大戦の原因があること、東京裁判は虚構と夢想にすぎないことが、この供述書を読めば明らかである。 天皇と東条英機の苦悩 かつての日本の指導者が、次々に収容された巣鴨拘置所。戦犯となった軍人や重臣たちの監房生活に戦争責任が重くのしかかる。本書は、東条英機らA級戦犯の生きざまと東京裁判への処し方を探り、処刑に至るまでの真実の姿を浮き彫りにした、貴重な歴史の証言である。 ディベートからみた東京裁判 プロローグ ウェブ裁判長の忌避動議 平成十七年 八月十日 中島らも「首狩りママ」を聴きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[政治 政治史 行政] カテゴリの最新記事
|
|