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風と散策

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2007.08.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類

炭化

乗降口に立ったまま黒焦げになった母と子。
爆心地から1400m、白島線終点付近(東白島町)
小久保 三好  原爆投下当時17歳  絵を描いた時74歳

絵中解説
電車の乗降口の黒焦げになった母子。市内電車の白島線終点付近の歩道に、
わだちの跡を付けて脱線している赤さび色に焼け焦げた電車があった。
その乗降口に両手で手すりを握り、片足をステップに下ろした、真っ黒焦げの
女性の立像があった。 その足元に赤ん坊の仰向けになった黒焦げの死体が
あった。 (広島平和記念資料館提供)



世に原爆写真なるもの数々あれど、
当然被爆の惨状を伝えた「写真」は「その後」、であり、
瞬間、直後、というものは、何処にも残っていない!

その意味でもNHKが始めた「原爆の絵」の収集は
非常に意味が有るものなのである!

1974(昭和49)年、初回の呼び掛けには2200枚近くの絵。
第二弾が2002(平成14)年再度募集され、合わせて3500枚の絵が
広島平和記念資料館に展示保存されている。

5、6年前に資料館の中の「原爆の絵」専門に見て廻った事がある。
写真、資料展示等ばかりでは決して把握する事の出来ない、
被爆者の「体験」が如実に伝わり、しかも「直後」を推し量る
事が出来て、原爆の実態に益々触れられる思いがしたものだ。

冒頭に、市電の中で被爆し、
瞬間的(?)に人間が炭化してしまった絵を載せました。
これ等は想像の域を超えた出来事で、5、6年前に見る迄は
知らなかった事実でした!

この絵が特に記憶に残っていて、「平和データベース」から
検索して再び見える(まみえる)事が出来たのです。
尚「転載」は許可が要り、それを得ておりますよ。

極く極く一部ですが、以下の数点はリンクでご紹介出来ます。
こちらを見て下さい。


そしてこちらからは全収蔵物が見られます。

改めて、悪魔の所業の核兵器、、、
これを発明、開発した者(結局米ソという国ですが)こそ
万死に値する!(もう死んじゃってますが)
自らが住んでる地球を破壊せしめて、何ぞの勝利をや!!
もし「神」というものが居るとするならば、
”人間よ、地球上で一番愚かな生物よ” とのたまった事でしょう。

過去の原爆に付いての記述
「原爆ドーム世界遺産登録ー9周年に寄せて」
「原爆ドームは我が同胞!」
も読んで頂けると嬉しいです。






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最終更新日  2007.08.06 05:38:44
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