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愛を分かち合いたい♪

愛を分かち合いたい♪

限界



限界

昨年(2003年)の夏。

私は、息苦しさと食欲の無さでどんどん痩せていった。
ダイエットして痩せるのと、
食べれないことで痩せていくのは、ものすごい差がある。

旦那さんは、7月になると
消防団の訓練で毎火・木・土と夜にいない。

昼間の訓練もある。

この居心地の悪い、そしてくつろげない精神状態で
夏休みの子供達の世話と騒々しさに参っていた。

そして、夏祭りの時期。
我が家は本家で、お客さんが沢山来る。
そのおもてなしも、おみこしの休憩所なのでそこで配るお握りなどを
私は手伝わなければいけない。

旦那さんはお囃子の笛なので、朝から子供達を連れていないし
私は三女をおぶって、汗をかきながら沢山のお料理と
100個以上のお握りを作っていた。

お囃子の音が聞こえ、子供達の歓声や
大人の神輿の掛け声などが近づいてきた。

何かが切れた。

家で忙しく働いている私は、熱があった。
外に行くのは、男だけ。
お祭りなんて大嫌いだ!
なんで女と言うだけで、いつ来るかもわからないお客様を待ち、
別にお祭りを見ることも無く、飲んで食べている親戚達の相手をしなければいけないのか・・・。

同居してから3回目のお祭りだった。

その夜、酔っ払って帰ってきた旦那さんに
泣いて訴えた。

でも、伝わるどころか、イビキをかいて寝てしまった。

私はその日から、今度は過食になった。
食べても食べてもおなかがいっぱいにならない。
今度はみるみる太っていった。

お盆になると、やはり本家のお盆様にお線香をあげに親戚が来る。
あとから、あとから、なんの連絡も無く突然来る。

私は、嫁を放棄した。

行く当ても無く逃げた。
毎日外出した。

疲れるだけで、何も楽しくない。

何も言わない義父母にも、違和感を感じた。

旦那さんは私に付き合ってくれる。
不本意なのか、わかってくれてるのかもわからなかった。

秋になって、とうとう爆発した。
今まで溜めていた不満を旦那さんにぶちまけた。

黙って聞いてるだけ。
私の心の叫びに、ただ、何も言わず聞いてるだけ。

「何か言ってよ!」と言うと
「何も言う事はないよ。俺が考え方を変えればいいんだから」

それが、最初で最後の私へのコメントだった。

悲しかった。

それからも、旦那さんは変わらず家事や育児を懸命に手伝ってくれている。
私のストレス解消に、ドライブやカラオケや飲みに連れて行ってくれる。

ありがたい事なのだが、
あの言葉が引っかかっていて、心の底では
猜疑心だけが膨らんでいった。

何を言っても、黙っている。
黙って聞いているだけ。
私は、話しても話しても、何か別の怒りが沸いてくる。

旦那さんは、年末は「年末火災予防運動」とかで
警戒として出動していない。
この3年、家族と大晦日さえも過ごせない。
何度訴えても、子供が始めての高熱を出した時でさえ、行ってしまう。

この広く大きな家の大掃除がどんなに大変でも
愚痴さえこぼさず頑張っているのに・・・。
あの「あらぐま」の剥製が置かれている座敷を掃除するのが
どんなに苦痛かも、黙って頑張っているのに・・・。
4年間も気持ち良くお風呂には入れずにいる、お風呂好きな私のストレスも
病気も、日々殺されていく
動物達への思いも、毎日の小さなストレスさえも
何も解消されず、ただチリのように積っていくだけ・・・。

とうとう飽和状態となり、
私の頭の中は、

「離婚」  

しかなくなっていった。

何故『離婚』なのか・・・。
話し合いをしたくても、黙ったままの旦那さんは
ただの置物のようで、独り言と同じ。
のれんに腕押し、馬の耳に念仏、なんの手応えも感じない、
愛情も感じない、優しさも思いやりも、何も感じない。

不信感、猜疑心、不安感、孤独感を感じるだけの話し合い。

もう、うんざりだったのだ。
ただ、逃げる事しか考えられなくなった。
横浜に帰れる方法は、これしかないと、浅はかな考え・・・。

今考えると、当時の私は
もう、精神的に正常ではなかった気がする。



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