カテゴリ:観病日記
連休前の2日、従妹から電話があり、かねてより療養中の叔母が肺炎を発症、ここ数日がヤマという。翌3日の朝一番で、父が入居している高齢者施設に連絡、午前中、見舞いのための外出を伝えた。
「おやっ?」と思ったのは、前日の夕食を父が採っていないと言われたこと。 「朝食は?」と聞くと、朝食も、朝起きられず、食べていない由。 朝食を食べないのは、今日始まったことではないこともあり、そのまま外出、荏原病院まで往復し、叔母を見舞った。 「見舞い」とだけ伝え、詳しいことは言わなかった。 従弟の嫁さんが付き添っていて、父の見舞いに恐縮してしきりに従弟の不在を詫びるところを「お仕事もご家庭もおありですから」とやんわり。 長居することもなく、20分ほど付き添って、いったん家に立ち寄り、多少の荷物をもって、再び高齢者施設へ。ちょうど12時の昼食時間に間に合い、あとを施設側に託す。 4日はなにごともなく過ぎ、5日の朝、施設の看護士から電話。 「3日夕刻、発熱があり、医師と連絡して解熱剤を服用、座薬を使用し、今は平熱」という。 「食事は?」とたずねると、水分だけで固形物は採れていない。 我が家は、祖父母、母と実質的にアルツハイマーが原因で死んでいる。父もアルツハイマー。いづれも、発熱のつど病状が進み、自分で食事が出来なくなったところで死んだ。(母の場合は、点滴で余命をつないだので、事情は多少異なる) だから、「食べない」ことに恐怖がある。 ひそかに、発熱で食欲中枢が破壊されるのだと思っているが、他者と共有する経験ではない。 6日朝、従弟の嫁から電話で、叔母が前日死んだと報せ。 葬儀の日程なども既に決まっていて、妹とやりとりのあと多少支度して、父への報せに出かける。 午後イチにもかかわらず、父は自室で横になっていて、元気がない。 「その場でも」という家人を制して、皆の居る部屋に席を設けてもらい、叔母の死と葬儀日程など報せるも、あまりピンときていない。 聞けば、前日も朝も、そして昼も食事が出来ていない。 多少の発熱もあったが、今日は解熱剤を使用せず平熱の由。 持参の柏餅を勧めるが、やはり食欲がないらしく、少しかじっては、促さないと続かない。 それでも、話しをしながらではあるが、30分ほどで柏餅2つを食し、あとひとつをスタッフに託し帰宅。 21時過ぎ、電話で様子を聞くと、夕食も二口、三口といったところで終わった模様。 叔母の旦那さんとウチの父は、陸軍士官学校の同期生。 嫁さん同士も、女高師の同期生で、 しかも、叔母の旦那とウチの母親は、奇しくも2008年3月31日、同じ日に相前後して亡くなった。 父の少食は偶然なのか、それとも.... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 6, 2013 11:03:29 PM
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