ichiro 3000
「ざまぁみろ。すごい!この痛快さは真珠湾以来だ」「バカ言っちゃいけない。ああいう失敬な不意打ちのトレチャラスアタックと一緒にしたら申し訳ない。」「ichiroの功績は、真珠湾、SONY、Tokyota、Hondaほどは、評価されまい。湯川秀樹と比べても、どうか。だが、実は、それらと比べても、まったくレベルが違う功績と思うよ。たった一人で、相手のルールで、差別をはねのけて積み上げた記録だ。アジア人はここまでできることを証明した。惜しむらくは、彼のこの功績をアジア人のマイルストーンとして評価する者が、少ないであろうことだ。彼は、日本人ではあるが、正々堂々たるアジア人でもある」晴天の日曜、午後コロラドロッキーズ、クアーズフィールドの7回3000本安打の余韻が残る中、マーリンズの攻撃が終わり、ichiroが走って守備につくふだんなら、投げられてくる守備投球練習用のボールを、ブルペンから控えのキャッチャーが持参しichiroに手渡す数球練習のあと、アナウンスがあり、seventh inning stretchGod Bless Americaが演奏されるGod Bless America, Land that I love. Stand beside her, And guide her, Thru the night with a light from above. From the mountains, To the prairies, to the oceans, White with foam God bless America, My home sweet home. 帽子を脱いで胸に当て、敬意をあらわすichiro野球人として、何物にも代えがたい、誰もが憧れる栄誉のとき27歳で渡米した青年は、今42歳。髪の毛にも、毎年白いものが増えているのが如実にわかる。黙々と、自分の役割を、懸命に打ち、懸命に守り、懸命に走って作りあげていく。そんな彼の偉業をひそかに、今日は寿ぐそのあと、恒例のtake me to out to the ball game