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カテゴリ:雫石方面
昨日は暑かった。
というよりも、お盆を過ぎても涼しくなる気配がまったくない。 嫁は仕事に出かけ、息子も用事があると出て行ったので、オイラも出かけることした。 ということで、雫石の岩手山神社を目指した。 姥屋敷から雫石環状線に入り、一本桜の前を通過する。 ちょっと行くと、極楽野とかいうオドロオドロしい地名を案内する矢印がある。 雫石環状線から右に曲がり、しばらくそちら方向に進むと、「岩手山神社」があった。 看板が地味だったので、一度過ぎてから気が付いてしまったのである。 参道前のちょっとした空き地にアルトを停めた。 予想どおり、アブの襲撃にあう。 しばらく我慢していれば、アブもいなくなるだろうと思ったが、襲撃が衰えることはない。 ベコン、パコンとガラスやボディに体当たりしてくるが、死んだアブはいないようだ。 タバコをすって様子を見てたが、暑さに耐えかねて車の外に出た。 何せ、一本桜の柵にぶら下がっていた寒暖計は29℃だったので、ここも当然暑い。 アブ対策に、釣り用の薄手のジャンパーを持ってきたよかった。 でも、アルトから出てもアブが追ってくることはなかった。あれ、いらなかったか? これは、参道にある二番目の鳥居。 裏側のプレートには、平成の大模様替事業記念、平成15年11月30日と彫り込まれていた。 最終的に事業が終わったのは、平成16年6月30日で、狛犬献納が最後のようだ。 この参道には、「古(いにしえ)の杜の老松(まつ)を偲ぶ参道(みち)」という名前があるようだ。 さらに、「静けさや神(やしろ)の社(もり)に頭(こうべ)たれ」という看板まである。 確かに、太い樹が両側にある参道は迫力がある。とにかく涼しいが、括弧書きも多い。 これは、境内の左側にある二本の杉。 雫石町指定天然記念物(植物)「岩手山神社の夫婦杉」という看板が立っている。 他に何があるのかと盛岡市の指定樹のように探したが、残念ながらスカッと見つからなかった。 これは、平成24年3月1日の指定になっている。その記念に、立派な囲いができたようだ。 その指定の看板を見ると、ここは、雫石町長山頭無野となっている。 おやおや、極楽野ではなかったということか。 でも、オイラ的には、どっちにしてもオドロオドロしい地名であることには変わりない。 夫婦杉の近くに、いろんなモニュメントがある。 なんとか読めたのが、大正天皇の御即位に関係するものらしいが、よく分からなかった。 裏には、皇紀二千六百年旧五月二十七日に西山村青年團上長山分團が建立と彫ってある。 皇紀二千六百年を調べたら、昭和15年のことらしい。 大正天皇との関係がよく分からない。もしかして、オイラが写真を取り違えたのかもしれない。 それから、その隣の龍だかは、迫力があって素晴らしいが、裏には何も彫らさってなかった。 その隣のある鳥居がチョー古かった。 右側には明治三十七八年日露戦役○念、左側には紀元二千五百六十五年五月建立と彫り込まれている。 ということは、先ほどの記念碑の昭和15年よりも35年も古い。 ちなみに、今年は皇紀二千六百七十二年なので、107年前のものになる。 これは、手水舎の水。岩手山神社「神山の秘水」という看板が貼られている。 その脇には、「岩手山襞(やまひだ)の雪解(ゆきげ)の水は 源の流れとなりて此々に湧き立つ」書いた看板が立っている。 オイラが飲んで普通ってことは、美味いってことなんだろう。 屋根裏近くに水質試験の検査結果が貼ってあって、平成16年時点では、10項目について水道法水質基準に適合となっている。 この日も2組が水を汲みに来ていた。ポリタンク用の給水ホースが置いてあった。 それと、一番古い鳥居まで車で来ると、アブの襲撃を受けないで済むようだ。 拝殿の左わきに「鎮守奉献」と彫り込まれた石碑が建っている。 裏には、岩鷲山新山宮の由来が彫られている。 大同二年 田村麻呂将軍創宮と伝らる 延宝二年 円臧院椿宥再建す 元禄四年 藩主二十九代重信公の願に依って新に建立せり 宝永四年 円臧院八代宥栄に依って再建した 寛保二年 再建が行れる 文政五年 新山堂再興す世話人長山村肝入り嘉右エ門ほか重作弥兵エ九兵エ 篠川原久右門御社肝入西根村八兵エ 明治二年 野火により類焼再建する 昭和五十六年 新に再建した 何度も再建されていることが分かる。 それに加えて、平成15~16年に平成の大模様替事業が行われた。 意外と参拝者も多い。美味しい水の力って、スゴイと感じた。 これは、巖手山遥拝所から見た景色。 岩手山のどの辺りか分からないが、看板には「聳立つ松を見越しの南部富士」と書いてあった。 岩手山神社の本社は、岩手山の頂上にあるから、中央通にあった岩手山神社と同様に、ここからもしっかりと拝まないといけない。 しかも、石でできた巖鷲山大権現もある。 実は、夫婦杉の隣に立派な看板が立っていて、それに岩手山神社総代一同の皆様が「岩手山神社の御由来」を詳しくまとめてある。 坂上田村麻呂が賊徒赤頭の高丸を征伐した話、前九年の役で功をたてた工藤行光が岩鷲山大宮司となった話などは、歴史のロマンを感じさせてくれる内容だ。 よーし、だんだん本社に近づいてきたぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.19 15:06:54
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