熊田千佳慕さんとの出会い
全て偶然といってしまえばそれまで でも不思議なご縁で知ることができた熊田千佳慕さん。 誠文堂新光社 イラストノート 2008年6月号 私が購入した最初で最後かもしれないこの本の特集"Illustrator'sTalk"熊田千佳慕 あまりにも細密な絵に衝撃を受けた そしてその中に記されたさほど長くないインタビュー記事 他のことは全く覚えていないのに忘れられない この本から 写真と記事の一部を引用させていただきます - その後 画家になったきっかけは? 戦後すぐの絵本には、良いと思えるものが無かったんです。 どれも赤や黄色が余白なくベタベタと塗られていて、こんな本を小さい人(子ども)に 見せちゃいけないと思った。それでやむにやまれぬ気持ちで独立しました。 - 現在の、鉛筆と絵筆で細密に描く画法は、どうやって開発されたのですか? 戦争で画材も無くなくった時に、山名先生が「持ってゆきなさい」と画材一式、 揃えてくださったんです。でも僕は、目の前にあった6Bの鉛筆を指して 「これだけいただいてゆきます」と言った。それがきっかけでした。 - なぜ、鉛筆一本? 神様の啓示だっんでしょうね。「崖っぷちまで連れてゆこう」という。 それで鉛筆と紙だけいただいて。消しゴムもないから、無駄な線は描けない。 そこから、見て、見つめて、見極めてから描くという画法を授かりました。 細い筆で着色するようになったのは、疎開した家で絵具を見つけてから。 前の住人が絵を描く人だったみたいで、縁の下に捨ててあったんです。 「これで色が付けられる」と思ったけど、筆いっぱいに絵具をつけると、 すぐに無くなる。それで筆先だけに色をつけて、線で面を埋めるように 描いたんです。 - モノが無い時代だからこそ、生まれた画法なんですね。 そう。みんな、神様からいただいたもの。ですから僕の絵は、神様への レポート。バチが当たると思って、一枚も売ったことはありません。 8月12日から 銀座松屋で「プチファーブル 熊田千佳慕展」をやっていた。 私は職場が近くなのに全くしらず、先日次女が一枚のちらしを 持ってきて 「おとうさん、見に行く?」と言うので、 上に書いた本の記憶があったのと 職場が近いこともあって見に行った。 会場の入り口に 8月13日に他界した旨の掲示があり衝撃を受けた。 まぁ、偶然といってしまえばそれまで 空の上でも ふんころがしをみつめているのかな・・・