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ken tsurezure

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trainspotting freak

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2017.03.10
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カテゴリ:音楽あれこれ
客電が落ちると「イーラ」のSEが流れる。カウントダウンがスクリーンに映り、そして「1,2,3」の曲が始まる。
この日のライブの第一部は中村一義が2000年に発表した「ERA」というアルバムが、曲順もそのままに演奏される。いわば「ERA」の完全再現ライブといった感じだ。
今年2017年は中村一義にとってデビュー20周年に当たる年である。またこのライブの当日は彼の42回目の誕生日でもあったらしい。
そうした記念すべき日のライブに「対音楽」でも「金字塔」でも「100s」でもなく、「ERA」の再現ライブをしたということ。それはこのアルバムが彼にとって重要な位置を占めるアルバムであるという象徴であるのだろうと思う。
彼自身がMCの中で「ERA」というアルバムを2017年という時代の中で新たに解釈して行うライブだと言っていたが、特に大きなアレンジ替えがあったとか、曲が原曲をとどめないほど再編成されていたといったことはなかった。ごく自然に、現在の中村一義のバンド「海賊団」と、普通に「ERA」を演奏したという感じだった。
だとしたら何をもって現在の解釈で演奏したということになるのか。それは今回のライブが単純に17年前のノスタルジーにしかならない昔懐かしい同窓会ノリで終わるか、それで終わらないか、その違いなのだと思う。
僕の感想というレベルではあるが、今回のライブを聴いて、2000年という時代の勢いというか熱気を思い起こさせられたりはしたが、それで終わりということではなく、現在でも今回のライブが通用する、あるいはまだ古臭くなっていないという感想をもった。
その理由は、海賊団というバンドの力かもしれないし、「ERA」というアルバムが内包しているパワーなのかもしれない。あるいは多分、両方なのかもしれない。
僕自身にとっては信じられない話ではあるのだけれども、中村一義というアーティストは今年デビュー20周年を迎える大ベテランアーティストである。1971年生まれの僕が高校生だった頃に置き換えるとするなら、20年前から活躍しているアーティストといえば吉田拓郎だとか沢田研二だとか矢沢永吉といったアーティストに当たる。そうしたアーティストは僕にとって偉大であるけれど、高校生当時の自分自身にとっては等身大の表現ではない。それらの偉大なアーティストたちに対して、僕はそんな感じを抱いていた。
最近の人気若手ロックバンドにリアリティーを感じるという若いロックファンには中村一義の表現は高尚に感じられるのかもしれない。あるいは自分の世代の切実さを代弁してくれているとは考えづらい表現なのかもしれない。だからそうした若いロックファンに今回のライブを聴いてもらったらどんな感想を持つか僕にはわからない。
それでも、「ERA」のハイライトでもある「ロックンロール」や「素晴らしき世界」が今ここで演奏されていることに何がしかの感動を覚えるよりほかはなかった。

休憩後の第2部は新旧の曲を取り混ぜて演奏するという普通のライブの構成だった。
演奏した曲は「犬と猫」「スカイライン」といった曲など、本当に新旧取り混ぜてという感じだった。
この部のハイライトはやはり一番最後の「キャノンボール」だった気がする。大病を患って今何とか復帰した盟友をステージに招き入れて演奏した「キャノンボール」は素晴らしいという一言で済ますのではもったいないくらいの感動のフィナーレだった。


「ERA」というアルバムが発表されて早いものでもう17年の年月が経つ。だから2000年という時代もすでに過去の歴史になってしまったし、高校生くらいの年齢のロックファンだとその時代の雰囲気も記憶にないかもしれない。
「ERA」というアルバムは中村一義にとって、表現の転機にあたるアルバムである。1997年にデビューし、「状況が引き裂いた部屋」の中で、ブライアンウィルソンの「スマイル」を思わせるような複雑で内省的な作品を宅録で作っていた90年代の中村一義。そんな彼があえてわかりやすい音で、わかる人にはわかるではなく多くの人々にわかってもらうことを指向し始めたアルバム。それが「ERA」というアルバムだった。
ひたすら内に向かい、90年代当時の困難さや閉塞感や、そこから何とか這い上がっていくためのかすかなきぼうといった、どちらかといえば難解だった表現を紡ぎあげてきた90年代の中村一義の作品たち。そうした表現を通って来たからこそ、「100s」に収録された「キャノンボール」の「僕は死ぬように生きていたくはない」というフレーズは当時の日本のロックに関わる人々に大きなインパクトを与えた。
そんな中村一義の第2章の始まりを告げる強力な作品が「ERA」というアルバムだった。
2000年という年は日本の音楽シーンの転機が訪れた年でもあった。ミッシェルガンエレファントが「カサノバスネイク」、ハイロウズが「リラクシング」、イエローモンキーが結果としてラストアルバムとなる「8」を発表し、90年代を代表するバンドがこの年に傑作アルバムをリリースする。そしてブランキージェットシティーはこの年に「ハーレムジェット」を発表し解散する。
一方で椎名林檎がこの年に「勝訴ストリップ」を発表して爆発的なヒットを放ち、新世代の台頭をアピールした。
ロックだけでなくJ-POPの表舞台も大きな変動が起ころうとしていた。浜崎あゆみがこの年にブレイクし、モーニング娘。も「恋のダンスサイト」「ハッピーサマーウェディング」といったシングルを発表し大ヒットを記録する。90年代に日本のポップミュージックを制覇していた小室哲哉プロデュース作品の時代がまさに終わろうとしていた。
そうした日本の音楽の新旧交代のはざまの中で「最後の90年代総括期」といった様相だったのが2000年という時だった。
音楽だけでなく、世相もこの年は90年代最後の黄金期とでも言っていいような年だった。
2000年という年を象徴する言葉は何か。もしそう問われたなら、僕は「失われた10年」という言葉をあげると思う。
「失われた10年」という言葉は90年代を象徴するフレーズだが、2000年当時はネガティブなイメージの言葉ではなかった。
90年代という年月は日本的システムがうまく立ちいかなくなった年月だった。だから日本的システムの悪いところや良いところを精査し、これから始まる2000年代はより素晴らしい10年にしていきたいものである。
そんな前向きなメッセージが込められたものとして「失われた10年」という言葉があった。
それは裏を返せば日本という国や社会の可能性を信じることができたということでもある。

以上のような音楽シーンの変動や世相の中で中村一義の「ERA」というアルバムは発表された。それは偶然ではなく、時代的なシンクロニシティとでもいうものがあったと僕は思っている。

「ERA」というアルバムを聴くと今でも2000年の空気感を思い起こすことができるし、僕にとってはその時代は過去ではない。でも年月の流れは非情で、あっという間にあらゆる大事件や物事を過去のものに変えていってしまう。
でも今回演奏された2017年の「ERA」はノスタルジアではなく、2017年を生き抜くための「ERA」として僕には感じられた。もちろんそれは「僕にとっては」という限定がつく感想であるかもしれないけれども。
コンサートが終わった後の寒空の新小岩界隈を歩いている間、僕の頭の中では2017年の「ERA」と2000年の「ERA」が混ざり合いながらずっと鳴り響いていた。





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Last updated  2017.03.10 06:08:42
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