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ken tsurezure

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trainspotting freak

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2018.03.02
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カテゴリ:読んだ本
西部邁という人物を初めて知ったのは「朝まで生テレビ」という田原総一郎が司会をしている討論番組だ。
西部邁氏はそれこそ何十冊にも及ぶ著作を出している方だが、実際に僕が読んだ著作はせいぜい10冊前後に過ぎない。
だから僕には西部氏の思想を語る資格など全くない。僕が知っている西部邁はテレビスクリーン上の「西部邁」氏だ。その前提の上でこの駄文を読んでいただければ幸いである。
「朝まで生テレビ」という討論番組は90年代のサブカルの一つの象徴だった。この討論番組で何十人もの「知識人」と呼ばれる人々がタレントとして巣立っていった。その中には政治家になった人もいる。そんな「朝生」出身の有名な政治家として舛添要一という存在がいる。
新宗教、特にオウム真理教などは「朝生」をうまく利用することで、あそこまでの大事件を起こすまでの存在になったのではないか。そう思えてしまうほど、サブカル系青年・女子たちに大きな影響を与えた番組だった。少なくとも1990年代中盤くらいまでは。
そんな「朝生」によく出てきた論客が西部邁氏だった。
西部氏の話すこと。それは一言でいうといわゆる「保守主義」という考え方に基づく見解だった。
特に1900年代前半のリベラルな言論を背景にしたいわゆる左派系の人々に対するその破壊力は、物凄いものがあった。
左派系の方々が語る理想論や建前論を「保守主義」に基づく見解で、ことごとく論破してしまった。その博識には左派系の方々にも一目置かれていたのではないか。そんな気がする。あくまでテレビスクリーン上という浅はかなレベルでしかないけれど、西部氏の話されていた見解はこのような柱に支えられていたのではないだろうか。
人間が思考できるものは限られているのだから、今の人間が社会を・法律を・政治を全て決定できるなどというのは理性の驕りでしかないのではないか。
「大衆」が全員でなにかを決定するということになると烏合の衆になりがちである。だから政治だの社会だのを「大衆」の思うがままに委ねてしまったら大変なことになるという大衆社会批判。そしてそれに基づく民主主義という意思決定過程に対する徹底的な懐疑。
そうしたことを柱にして、西部氏は進歩的と呼ばれる考え方や進歩的知識人たちが吐く言説に疑問符を投げかけ、時には論破して葬り去っていった。
1990年代前半から中盤というと僕はまだ20代前半で、ジョンレノン的物言いが好きなロック少年だった。
だから西部氏の言うことが癪に触って仕方がなかった。なぜ癪に障るのか。それは西部氏の言うことが全て正しかったからだ。
僕が味方にすべき左派的知識人がしゃべる建前論(僕にはそう感じた)。それらは西部氏の言葉を前にするとあっという間にかすんでしまった。西部氏のリアリティーのある言葉を前にするとそれらは単なる自己保身のための大嘘に堕ちていった。
僕がその頃信じていたロックンロール的な左派的考え方。それに対する最大の難関が西部氏の「保守主義」であり、それを打ち砕くのは困難である。僕はそう直感していた。だから社会や政治についての何かを考えているとき、僕の頭の中にはテレビスクリーン上に映し出された西部氏が心の隅っこにいた。僕が考える左派的な言説。それに反論してくる西部氏がいた。何かの良心の呵責のように西部氏が僕の頭の中に存在し続けていた。

そんな西部氏の僕の中の影響力が薄れていったきっかけ。それは宮台真司という存在だった。1990年代を代表する社会学者。それが宮台真司という人で、特にオウム事件からしばらくの間はサブカルの分野の中に「宮台真司」という枠がある。そう言っていいほど彼の存在は強烈だった。
宮台氏がこの頃行っていたこと。それは徹底的に90年代の社会を肯定してやること。特に援交女子高生たちを。そうすることで新しい生き方や新しい何かが生まれるのではないか。宮台氏はその可能性にかけていたのだと思う。彼は頭も切れるし、論争になるとまず負けることはない。そうして宮台氏は90年代の新世代のヒーローの1人となった。

そんな世代交代を象徴する番組がある。田原総一朗が司会をしていたある30分間の討論番組だ。その討論番組で神戸の児童殺傷事件をテーマに西部氏と宮台氏が討論していた。
西部氏は言う。自己決定論云々。それは耳当たりのいい言葉だ。でも自己決定は家族なり、友人関係なり、会社と自分との関係なり、重層的な社会の網目の中に「自分」がいるからこそ「自己決定」ができるのだ。そうした社会関係がうざいと左翼的知識人たちがそれを破壊してきた問題をどう責任を取るのだ。この事件を起こした少年が「思春期前期」である。そうしたことを強調しても仕方がない。誰でもそうした「ストレス」にさらされて生きてきて普通は立派な大人になっていくものだ。そうしたストレスに耐えられない人間が出てきたのは、左翼的知識人がうざいと言って捨ててきた社会関係の網がなくなりつつあるからではないのか。
それに対して宮台氏は答える。社会関係の網が重要だ。その通りだ。それは私も認める。でも今の社会状況のままでいわゆる昭和的標準理想家庭を作っていけば解決できる。あなたの言う社会的な網ができるというのは年寄りのノスタルジーでしかないのではないのか。
社会は変わり、環境が変わってきた。その変化の原因や因果関係を探り、新しい形の「社会の網」を作る方法論を検討しなければ問題は解決できないのではないか。そういう時代の境目にある今、あなたのようなノスタルジーに基づく道徳論は有害でしかない。この場を退席しなさい。と。

それに対し、西部氏は本当に番組を退席した。

時代は確実に変わっていた。今までは現在が夏であることを前提に浴衣を着るか半そでのシャツを着るかを議論していればよかった。でも時はめぐり冬が来つつあった。そのときに必要な議論は浴衣かシャツ化でなく、寒さに備えるための防寒具をどう確保するかが重要だ。それは夏に行っていた議論とは根本的に異なる。浴衣だろうがシャツだろうが寒さに耐えられる服を確保すること。それが一番重要だ。
もちろんそれを保守主義の見解から論証することはできる。しかし西部氏はあえてそれをせず、退席してしまった。

1997年にその番組は放映された。それは世代交代を僕に感じさせた。左翼的見解を保守主義の立場から批判し、その欺瞞を暴露して左翼的心情を持つ人々を挑発する。そんなテレビスクリーン上の西部氏の役割は終わった。そんな感を僕は持った。
そして西部氏のテレビタレント時代はこの時に終わった。

しかしテレビタレントとしての役割など、思想家にとっては取るに足らないことだ。西部氏の思想家としての側面は、彼が提唱する「保守主義」が現在我々の生きている社会の中通用するものなのか、あるいは全く役に立たないものなのか。その価値判断にかかっている。

西部氏は左翼的な見解に異議を唱えたが、実は新保守主義やネオリベラリズムに対しても異議を唱えていた。ネオリベラリズムや新保守主義が主流派経済学に基づく社会改造思想であることを見抜いていたからだ。そうした社会改造が日本の社会の良い部分まで破壊し、最終的には日本社会を破壊しつくしてしまうのではないかと危惧していたからだと思う。
90年代の左派的な風潮の時代は終わり、現在は保守主義の時代のように言われる。
そうした左翼的な思想がほぼ死滅してしまった時代の保守主義は「何を保守すべきか」について説明責任を負わなければならない。西部氏の関心や思想上の悪戦苦闘はそこにあったのではないか。
保守主義は伝統主義とは違う。
昔から続いてきた制度だからこの制度を壊してはいけない。それが伝統主義だ。
それに対して保守主義はこう主張する。
この制度は現在このような役割を担いこのような形で機能している。これを壊してしまうとこのような悪影響を社会にもたらす。だからこの制度は現在のまま保守すべきである。
それはある意味で左翼や伝統主義よりも困難な思想だ。左翼はありもしない絵空事やきれいごとを並べれば、それはそれで何とかなるかもしれない。人々をごまかせるかもしれない。伝統主義なら「昔から続いていることだから」で逃げられる。
保守主義は、「あえて」「この制度は保守しなければならない」と主張する。だからその説明責任を負う。またどの制度を保守し、どの制度は変えていかなければならないかを考えなければならない。
それは困難であるし、その困難を西部氏は生きてきたのだろう。

西部氏の訃報を聞いたとき、色々なことを感じた。その死は多分、そうした思想の困難を生き続けた西部氏の思想上の延長線の上にあるのだろう。
その核心については、僕のような浅学にはわからないし何かを述べるつもりもない。
ただそのニュースを聞いたとき僕はこう思った。西部氏は自分の思想を生き、そしてその思想を自らの人生の上で全うした人だったのだ。と。

西部氏の思想は僕のような左派的心情を持つ人間に対しては、何か良心に突き刺さったとげのように絶えず気になってしまう側面教師のような存在である。
一方の保守主義陣営ではどうか。多分僕らと同世代くらいの保守主義者で西部氏に全く影響を受けていない保守主義者はまず存在していないのではないか。そう思えるくらい彼の思想は僕達の世代に影響を残した。
個人的に僕が一番好きな西部氏の著作は「ソシオ・エコノミックス」という主流派経済学批判序説とでもいうべき著作だ。
稀代の思想家に冥福をお祈りしたい。



西部邁の経済思想入門 放送大学叢書 / 西部邁 【全集・双書】





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Last updated  2018.03.02 09:35:32
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trainspotting freak@ コメントありがとうございます aiueoさん コメントありがとうございます…

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