カテゴリ:音楽あれこれ
クロマニヨンズの新作「レインボーサンダー」を初めて聞いたとき、「このアルバムはすごくいいアルバムだな」と思った。当たりはずれがほとんどないクロマニヨンズのアルバムだけれども、このアルバムはここ最近のトップ3に入る作品だなと思った。
クロマニヨンズ結成から、彼らがやっていることはほとんど変わりがない。自分たちが「最高」と思うロックンロールをあまりひねくれずにストレートに演奏し、それを録音してアルバムとして発表する。 ブルーハーツやハイロウズのころは、歌詞作りに苦労の跡が感じられたけれども、クロマニヨンズになってからは苦労の跡を感じさせないような歌詞作りをあえて心掛けているという感じがする。 例えば「恋に落ちたら」という曲は「あのね あのね」という歌詞で押し切ってしまっている。 それは一見、歌詞を軽視しているとか手抜きをしているかのように見えるけれども、そうした歌詞作りは相当考え込まれ、そして洗練されたものなのではないだろうか。そのように僕は思っている。それは575の文字制限のなかで色々な物事を表現しようとする「俳句」に似た歌詞作りではないか。 今回のアルバムでも「おやつ」とか「三年寝た」とか、クロマニヨンズ特有の「俳句」のような歌詞作りがとても冴えている。そして一曲一曲の出来がいいような気がした。これをライブでやったらかなり盛り上がるだろうなというそんな曲が多く収録されている気がした。 そして「生きる」や「GIGS(宇宙で一番スゲエ夜」のような「エイトビート」や「タリホー」と同様のクロマニヨンズ・クラシックスを更新する曲も入っている。 このアルバムをひっさげてのライブは最高だろうな。そんな気がした。 クロマニヨンズのライブハウスでのチケットは実は入手が難しい。二次先行予約が落ちて、一般発売初日はネットが繋がらなくて結局手に入らなかった。という経験がざらにある。 今回のツアーの東京初日のライブ。ここでのライブチケットもたまたま友人のつてで運よく入手できた。しかも整理番号が200番台とかなり前の方へ行けるチケットだった。 体力的にも年齢的にももう最前列は無理だとわかっているので、とりあえず前方少し後ろでコビー側の場所を選んだ。 その日のライブは東京初日ということもあるのだろうか。ライブが始まる前からテンションが高い。開始時間10分前ぐらいにはヒロトやマーシーを呼ぶ叫び声があがり、会場はすでに熱を帯びている。 そして毎回恒例の前説が終わると、会場が暗くなり、僕らのヒーローの4人組が登場する。 一曲目は「おやつ」。だいたい予想通りの一曲目。「レインボーサンダー」の一曲目だ。数か月前に発表されたばかりの新曲なのに、サビ部分では合唱が響き渡る。 その後、新作の「レインボーサンダー」の収録曲をほぼアルバムの順序と同じようにガンガン演奏していく。 新作を発表したら、そのアルバム全曲を演奏するライブツアーをして、フェスに何本かでたら、また新作をレコーディングして…。彼らはここ最近そんな感じで活動を続けている。今回のライブもそうしたサイクルの一環としてのライブだ。 今回のアルバムのシングルカット「生きる」もあっさりと2~3曲に演奏された。 言葉遊びのような「俳句」をあえて歌詞にしている彼らだけれど、大抵そうしたアルバムの中で一曲くらい「マジ」な曲を収録させている。 それは例えば「エイトビート」「グリセリンクイーン」「紙飛行機」「ナンバーワン野郎」といった曲で、それは名曲としてクロマニヨンズの最新の歴史の1ページとして記憶される。少なくともクロマニヨンズファンにとっては。 クロマニヨンズは、ブルーハーツはおろかハイロウズの時代の曲も演奏しない。ブルーハーツもハイロウズも今からすると伝説的なバンドだ。でもクロマニヨンズのファンは「リンダ リンダ」や「終わらない歌」も「千年メダル」や「サンダーロード」も、演奏を望まない。それは驚くべきことだ。 なぜそのような活動が可能なのか。それはクロマニヨンズが未だにその歴史を更新し続けているからだ。彼らは過去の活動で生き延びているのではなく、彼らの今を生きている。そして新作を発表すると「エルビス(仮)」とか今回の「生きる」とか、いまだに僕らのアンセムというべき曲を作れてしまう。 17才の時、初めて渋谷公会堂でブルーハーツのライブを見た夜。その日のことは一生忘れないし、忘れてはいけないと僕は思った。 実際に忘れなかった。あの日に感じた感動。あの時の思い。 だけど17歳の時、僕は約30年後のライブハウスで相変わらずかっこよく彼らのロックンロールを更新し続けているヒロトやマーシーを想像することができなかった。 多分僕は非常にラッキーな出会いをしたのだと思う。 今回のアルバム「レインボーサンダー」はここ最近のトップ3に入る名作だという感触はライブを実際に目のあたりにして、間違いはなかったと感じる。 今回のアルバムの曲は一回聞いただけで耳に残るフレーズとメロディーで構成されていて、ライブで演奏するとその一曲一曲が盛り上がるし、またシンガロングも自然に起きる。 そんなプラス効果もあって、本当にその日のライブは一曲一曲が心に残る。 一旦新作のお披露目を中断し、昔の曲を演奏するとヒロトがステージで言う。 そして「エイトビート」が演奏される。言わずと知れた名曲だ。多分それはクロマニヨンズファンでなくても同意してもらえるのではないか。 そんな名曲の登場で会場の熱気が増したところで、彼らがいう「LPレコードのB面の曲」を演奏し始める。 例えば「恋のハイパーメタモルフォーゼ」が何を指すのか、具体的にはわからない。かといって何かの深読みを強いるタイプの曲でもない。その不思議な言語感覚は「三年寝た」という曲に良質な形で出ていると思う。 「三年寝た 三年寝た うっかり うっかり」というフレーズは一回聞いたら忘れられないし、思わず鼻歌で歌いたくなるようなメロディーを備えている。 だからそれをライブで演奏すると自然と合唱が起きてしまう。そうした合唱で生まれた一体感がますます会場を熱くさせる。そんなよいフィードバックが今回のライブを素晴らしいものにさせていた。 B面の曲のお披露目が終わると、クロマニヨンズクラシックスの演奏に移る。 「ナンバーワン野郎」や「ペテン師ロック」だとか「ギリギリガガンガン」など。 会場はそれまで以上に火が付いたような騒ぎになる。前の方では頭上で人が舞っているのが見える。僕の周りでも今まで以上の大合唱や叫び声が聞こえる。 そして最後の曲は「GIGS(宇宙で一番スゲエ夜)」。この曲は彼らの自伝のような歌だ。 この曲を最後にもってきたのも、それが彼らにとって特別な曲だったからなのではないかと思う。少なくとも今の時点では。 いったん小休止をはさんでアンコールに彼らが現れる。一曲目に歌った曲はかなりマイナーなというか、かなり熱心にアルバムを聴き込んでいるファン向けの「渋い」選曲。 でもその後に「エルビス(仮)」が演奏されると会場はまた熱気に包まれる。 最後の曲は「タリホー」。 それこそ喉がつぶれる寸前くらいの大声の合唱が会場に響き渡る。大興奮のなか、「タリホー」を歌いながらふと思う。この曲もすでに10年以上も前の曲なのだと。 ブルーハーツ、ハイロウズの頃からヒロトやマーシーは何か警句のような心に響き渡るフレーズを生み出している。 そしてクロマニヨンズになって、同じようにハッとするようなフレーズを彼らは生み出し続けている。 そんなフレーズの中ですごく好きなものがある。それは「グリセリンクイーン」のこんな一節だ。 グリセリンクイーン できることは何でも グリセリンクイーン やってしまう 毎秒が伝説 「毎秒が伝説」それは大げさな言い方かもしれない。でも僕らが今生きている時間は一度しかなく、絶対に再現は不可能だ。だからこそ今を大切にしなくてはいけない。「生」を無駄に消費することはよくないことだ。 そんなことを彼らは僕らに問いかける。自らのバンドの歴史を更新し続けていくことを通じて。 あなたは今でも「毎秒が伝説」であり続けていますか? それは日々の生活の中ではなかなか気づけないことだし、忘れがちなことだ。 でも彼らのライブを見るといつもそんなことをも思い出す。 若いころのように歴史に名を残すような誰かにならなければならないという青臭い野望は忘れた。でも市井の人間の人生を生きる一人として、少なくとも「あのとき、あれをやっていればよかった」と後悔ばかりする人生を送るべきではない。 そんなことをいつも彼らは教えてくれる そして今回のライブでもそうだった。 レインボーサンダー [ ザ・クロマニヨンズ ] MONDO ROCCIA/ザ・クロマニヨンズ[CD]通常盤【返品種別A】 グリセリンクイーン収録 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.12.23 13:02:24
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