テーマ:今日聴いた音楽(73732)
カテゴリ:音楽あれこれ
いきなり年寄り臭い話で恐縮だが、僕と同じくらいの世代のロックファンとの間で話題になることの一つとして「最近パンクスがいなくなったね」というものがある。
僕らが20代の頃の1990年代初頭、パンクファッションに身を包んだパンクスがそれこそ郊外の片隅にも何人かいた。高円寺や吉祥寺といった場所に行けばかなりの頻度でパンクスと遭遇することができた。パンクファッションと言ってもあまりピンとこない方に解説すると、シド・ビシャスに代表される、革ジャンに鎖を巻き付けたり、南京錠をアクセサリーにしていたり短髪を逆立てていたりといったそうしたファッションを指している。 シド・ビシャスを画像検索していただければよくわかると思うけれど、そのようなシド・ビシャスの生き写しのようなパンクファッションをした若者が1990年代初頭にはよく見受けられた。 こうしたパンクスの姿は結構よく見かけられたものなので、例えば相原コージの漫画などでパンクスはよくネタにされていたりした。またそれを読む人々も解説なしにその漫画を楽しむことができた。 さすがにモヒカンはなかなか出会うことはなかったけれど、そうしたシド・ビシャス風のパンクスはそれなりに怖い存在で、ライブハウスで暴れたり、喧嘩沙汰を町で起こしたりと、若者のリアルなストリートカルチャーとして「パンク」というものが存在していた。 しかし2019年の今、そうしたシド・ビシャス風のパンクスの若者を見かけることはかなりまれなことになってしまった。 シド・ビシャス風のパンクスがいなくなったのは、90年代の中盤に差し掛かってからだと記憶している。 この文章では、そうしたシド・ビシャス風のパンクスがいなくなったのを1996年から1997年あたりと線引きし、なぜそのような現象が起きたのかを自分なりに考えたものである。 今まで解説なしに「シド・ビシャス」という人名をあげていたが、シド・ビシャスはセックス・ピストルズの2代目のベーシストである。セックス・ピストルズは1976年ころからイギリスで話題になり始めたパンクロックバンドで、いわゆるパンク・ムーブメントの中心的な存在である。 そうしたセックス・ピストルズやクラッシュやダムドなどやさらにGBHやディスチャージといったハードコアパンクを含めて、それらの音楽や理念やファッションをこの文章では「オリジナルパンク」という言葉を使って説明する。 さて、いまセックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」というタイトルの唯一のアルバムを聞くと、非常にキャッチーなメロディーとハードなサウンドが魅力的な優れたロックミュージックであるという印象を改めて感じる。そして単純に音楽面だけを見ると今でも彼らの音楽から影響を受けたと思われるバンドが見受けられる。 そうした意味でいまやセックス・ピストルズは偉大なロッククラシックの一つであるといっても否定されることはないだろう。 しかし1990年代初頭は違っていた。 セックス・ピストルズは例えばピンクフロイドやビートルズといったロックとは別格のもので、彼らの伝説はまだ「今を生きている」ものだった。 セックス・ピストルズとビートルズとでは何が違うのか。それはビートルズが過去の音楽で彼らの音楽は昔のある世代の象徴でしかないのに対して、セックス・ピストルズは1990年代初頭の今でもリアルなストリートミュージックであり、1990年代初頭の若者にとってもその存在やスピリットはまだ生き続けているという感覚である。そうしたセックス・ピストルズに代表されるオリジナルパンクがいまだにリアルなストリートミュージックであり、そのスピリットは今でも生きているという理念を、とりあえず「パンクイデオロギー」と名付けておく。 1980年代はもちろん1990年代初頭までパンクイデオロギーは生きていた。だからその頃は数多くのパンクバンドがデビューしたし、活動していた。そしてそうしたバンドが本当に「パンク」なのかという議論が本気でなされたりしていた。 セックス・ピストルズはそれまでの主流のロックや社会に対してアンチを唱え、数々のスキャンダラスな活動を経て、最期には初期衝動のみで作り上げたアルバム一枚でその活動を終えた。またシド・ビシャスも若くして亡くなった。 そうした「夭折」を重んじ、活動歴が長いバンドをサラリーマンのようだと嘲笑する姿勢。そうしたものが1990年代初頭には生きていた。そしてそうした考えは「パンクイデオロギー」の最も重要な要素と言っていいくらい、その理念と切って離せぬものだった。 それを象徴する曲としてマニック・ストリート・プリーチャーズの「モータウン・ジャンク」をあげることができる。 「ジョンレノンが撃たれたとき笑っちまった」という有名なフレーズ。そして自分たちはアルバムを一枚リリースしたら解散するという宣言。それはパンクイデオロギーがまだその頃生きていたという証だし、またそうした彼らの活動は日本ではかなりシリアスに受け止められていた。 しかしそうしたパンクイデオロギーはその後の時代的な流れの中で次第に消滅していった。 まず音楽の歴史の流れからパンクイデオロギーと絡まったオリジナルパンクが廃れていった過程を考えてみたい。 ニルヴァーナの「ネバーマインド」というアルバムが発売されたのは1991年である。そのアルバムはアメリカの音楽を根底から覆す大事件となった。彼らの音楽は「グランジ」だとか「オルタナティブ」という命名がなされ、彼らに影響を受けたバンドが次々登場し、大ヒットを飛ばした。 ニルヴァーナの功績はそうした新しいタイプの音楽を作り上げたことにとどまらず、当時アメリカでは日の目の当たらなかったジェーンズアディクションだとかレッドホットチリペッパーズといったバンドに対する注目を喚起したという功績もあげられる。 そうした流れでオフスプリングといった80年代から活動しているパンクバンドも90年代に注目されるようになり、1994年にはグリーンデイが「ドゥーキー」というアルバムを発表する。 グリーンデイの登場はある意味で特筆すべき出来事であって、アメリカの新世代のパンクっぽい音楽の一つの様式を作り上げたと言ってもいい。こうしたグリーンデイに代表される「オルタナティブパンク」は思想的にオリジナルパンクと異なっている。 彼らもセックス・ピストルズといったオリジナルパンクの音楽的な影響は受けていたのだろうが、パンクイデオロギーには染まっていなかった。彼らは夭折が素晴らしいとは歌わなかった。社会に対する反抗はあっただろうけれどどちらかというと若者特有の憂鬱や悩みを主題とした歌詞が主で、その屈託のなさがある意味で特色だった。 そうしたグリーンデイに代表されるオルタナティブパンクは日本にもファッションとともに輸入されることになった。 一方のイギリスであるが、1990年代初頭から中盤にかけてはストーンローゼズの登場と沈黙、それとブリットポップの隆盛が日本に伝えられた。 特にブリットポップの隆盛はブラーやオアシスといったバンドをスターダムに上げた。そしてブラーの「パークライフ」やオアシスのファーストアルバムが新しいイギリスの音楽として日本に輸入された。 ブリットポップ関係ではオアシスの「モーニンググローリー」というアルバムが重要である。 彼らはビートルズに影響されたと公言し、ビートルズに対するリスペクトを隠さなかった。そして1995年にリリースされた「モーニンググローリー」はイギリスのみならず、翌年にはアメリカでも受け入れれれていった。このアルバムは全世界で爆発的な売り上げを記録し、オアシスはイギリスのスタジアムロックバンドとしての地位を確立していった。 僕は初めて「モーニンググローリー」というアルバムを聞いたとき、保守的なロックだという印象を持った。でも「Don't Look Back In Anger」は名曲であるのは否定できず、僕らの世代のアンセムとして記憶されている。 重要なのはイギリスの最先端の音楽ムーブメントの大ヒットアルバムがビートルズに多大な影響を受け、そしてそれを公言し続けたということだ。 彼らはもはやパンクイデオロギーとは無関係だ。また「ビートルズに影響を受けた。それの何が悪い」とでもいう態度は、既存のロックに対するアンチというセックス・ピストルズのアティチュードとは異なる。 そうしたバンドの登場と、それが当時の若者に支持されたという事実。それはロックがパンクイデオロギーから離れつつあるということを示している。 そして1996年にオリジナルパンクを覆す大事件が起きる。セックス・ピストルズの再結成及び再結成ピストルズの来日公演である。 実は僕は1996年のセックス・ピストルズの武道館公演を見ている。 そのとき印象に残ったのはブクブクに太ったジョニー・ロットンことジョン・ライドンの姿。そして同様のその他のメンバーの中年太り姿。そしてレコード通りの、意外にも上手な演奏だった。 当の武道館会場も暴動がおこるでもなく、熱狂的な歓迎を受けたわけでもなく、どちらかというとクールダウンした反応だった。 そのとき僕が思ったのは、夭折が美しいと言っても実際問題として、バンドを解散するたびに死ぬわけにはいかないということだった。夭折を絵に描いたようなセックス・ピストルズが20年前に解散し、今もリアルなストリートミュージックとして受け止められているとしても、そのメンバーはその後も生きなければならない。生きていればいつでも再結成は可能だし、伝説的であればあるほどその再結成の需要は多い。 そして再結成したセックス・ピストルズの音楽は、例えば他の再結成バンドとどれだけ優れているだろうか。もし比較可能であるならば、ビートルズの来日公演とどちらが優れているだろうか。 そのとき、セックス・ピストルズは他のクラシックロックバンドと同列のバンドの一つに納められることになった。セックス・ピストルズは1996年時点でのリアルなストリートミュージックではなく、昔イギリスで活動していた偉大なロックバンドの一つでしかないということを示した。それはつまり、セックス・ピストルズもビートルズもピンクフロイドも過去に偉大な業績を残したという点で同列のバンドであるということだ。 再結成セックス・ピストルズは日本におけるパンクイデオロギーの終焉を宣言した。 その後の日本のパンクの流れで重要なバンドとして、ハイスタンダードがあげられる。 「グローインアップ」というアルバムが発表されたのは1994年。彼らの音楽や姿勢はオリジナルパンクよりも、グリーンデイに代表されるオルタナティブパンクに親和性がある気がする。 彼らの代表曲「Mosh Under The Rainbow」がそれを象徴していると僕は思う。そこには破壊もNo Futureもなく、真っすぐで屈託がない表現だ。 また彼らのファッションもオリジナルパンクのファッションではなく、当時のカジュアルファッションを普通にかっこよく着こなしているという印象が強い。 また1996年ころからストリートミュージックとしてのヒップホップがアンダーグラウンドで活動を活発化させていく。1980年代だったらパンクを演奏していたかもしれない若者たちがヒップホップへ流れていったのではないか。 パブリックエネミーのセカンドが発売されたのは1988年。「ドゥー・ザ・ライト・シング」が上映されたのが1989年から1990年ころ。そのとき高校生だった、ストリートに生きる若者がリアルな音楽としてヒップホップを敬愛していたとしても不思議なことではない。そしてそうした若者が自己表現を行おうとしたとき、ストリートのリアルな表現としてヒップホップ以外なかった。 1996年から3年後の曲だけれど、「Grateful Days」という曲はストリートミュージックがパンクからヒップホップへ橋渡しされたのを象徴している気がする。 パンクイデオロギーが信じられなくなってからあと、それこそ「Anarchy In The UK」と「Twist And Shout」と「悪魔を憐れむ歌」とを比較する、同列に扱うということが可能になった。 それは逆に言うと、セックス・ピストルズを選ぶかビートルズを選ぶかは、個人的な音楽の趣味の違いになったということである。 だからある人が自分を表現するときに渋谷系を選ぶか、パンクを選ぶか、ヘビメタを選ぶか、グランジを選ぶかは、個人的な音楽センスの違いであってどれを選んだから偉いとか最新鋭だとかということと無関係になったということだ。 そうしてオリジナルパンクは音楽ジャンルの一つとなり、それと同時にパンクのファッションをした若者が少数派になっていくことになった。 パンクイデオロギーが失効してからあと、パンクはどうなったのだろうか。パンクイデオロギーは死んだとしても、DIY精神やアンチメジャーレーベルとしてのインディーズ精神だとか、そういったもともとオリジナルパンクが目指していた精神の方は継続し続けた。そうした精神をもったバンドやユニットはジャンルを問わず存在し続けている。 それはオリジナルパンクが切り開いた重要な突破口だった。 そうした意味でパンクの精神がまだ別の形で生き続けている。そういうことは可能だろう。 パンク勃興から40年強。スタイルとしてのオリジナルパンクはもう終わっているのだろうけれど、そのスピリットは別の形で受け継がれている。長い年月が経っていえることは、それこそが現在のロックとパンクを結びつける重要な影響ではないだろうか。そんな気がする。 【送料無料】 Sex Pistols セックスピストルズ / Never Mind The 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Last updated
2019.01.07 14:31:28
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