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カテゴリ:ミッション・ステートメント
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ 一休宗純 TVアニメの目が大きくかわいらしい一休さんのイメージとは真逆。 風体は、無精髭で頭も剃髪せず、髑髏で托鉢、派手な朱塗りの鞘で帯刀までしていた。 禅僧にも拘らず、酒を呑み、肉を喰らい、女色はいうに及ばず男色も好き放題。 自ら狂雲子と号するとおり、狂人のようだ。 戒律を守る真面目な普通の禅僧からすると本当に恐ろしいきちがいに思えた事だろう。 破戒僧の見本のような男ですな。 彼の奇行をいくつかご紹介。 一番有名なのは、お正月にみんな浮かれている中を、髑髏をつけた杖を持ち練り歩いた。 「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 狂雲集 不吉だ、縁起でもないという非難が聞こえてきそうだが、真実であることに間違いない。 アニメに出てくる“しんえもんさん”は蜷川新右衛門という実在する人物。 夫婦揃って一休の弟子となっていた新右衛門さんとの問答がある。 「仏法とはとはどういうことでございますか」との問いに対して、一休は答えて言った。 「仏法は 鍋の月代(さかやき) 石の髭 絵にかく竹のともずれの声」 (鍋の月代、石のヒゲや絵の中の竹の葉ずれの音と同じだ) (そんなものありえないわい・・? そんなこと考えたってしょうがない・・?) 一休の高笑いが聞こえてきそうな台詞。ガッハハハハ 先に風体で触れた朱鞘の刀のお話。 ある時「なぜそんな派手な刀を持っているのですか」と問われた時の答え。 一休が鞘から抜いて見せた刀は切れるはずのない木刀だった。 「近頃、偉そうにしている坊主どもと同じだ。 派手な袈裟を着て外見はやたらと立派だが、中身はこの通り何の役にもたたぬ。 飾っておくしか使い道はござらん」と言い放った。 いやはや豪快だ。 一休は、女色についても悪びれるそぶりもない。「狂雲集」に堂々と歌ってさえいる。 「骨軆露堂々、純一将軍誉、風流好色腸」 (骨体は堂々としていて、一休宗純は将軍の誉れ、はらわたの奥まで風流や好色で詰まっている) 将軍さまも形無しだ。いくら天皇のご落胤とはいえなんの勢力もないただの破戒僧としての言葉。 はらわたの奥まで好色ってどうよ 笑 権力に反抗し、弱者と同じ側に生きた人生。 とにもかくにも強烈な人。 こちらが小市民的で常識の枠に囚われている自分を考えると、 隣にいたら友達になれるかは自信がないが、スゴイ人だ。 冒頭の言葉も強烈。 仏法の答えと同じ意味合いを表しているのでは・・・ 皮肉と遊び心とがあり、迫力もある。 あまり細かい事をぐちぐちと考えることが馬鹿馬鹿しくなる。 南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ 狂雲集/狂雲詩集/自戒集 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.22 15:16:06
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