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2008年02月01日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、「英国留学回想録」です。
今日は「博士課程への準備期間」第7回、

「わずか1日」。
(2001年10月末)

前回は、プロポーザル(博士課程の研究計画書)を
ソフィアの簡にして要な指導によって(?)
一応完成した。(苦笑)

そして、いよいよ博士課程への
願書提出の作業に入ることになった。

まずは推薦状を書いてもらわないといけない。

と、その前に以前書いた話を知らなくて
私が修士課程を終わった今に
なぜにプロポーザルを書いているのか
なぜに願書を作成しているのか、
わけがわからない人もいると思う。

簡単におさらいしておきたい。

私が博士課程に進むことを
学部の先生方に表明したのは
2001年の3月。
最初に書いた3本のエッセイの
成績が返却されてきて、
博士課程に進めそうな得点だったので
それなら行こうかと
考えたということだった。

指導教官もソフィアにお願いして
快諾を得たところで、
5月頃、私はプロポーザルの作成に
取り掛かったのだけど、
大体何を研究したらいいのか
ほとんどわかってないような
状態だったので(苦笑)

「修士論文が書き終わる9月まで
博士課程のことは何もやらないで!

9月からプロポーザルを書き出しても
大丈夫だから!!」

と、ソフィアにキツク言われ、
私は10月末の今日まで
プロポーザルと
それを添付して提出する
博士課程への願書を
提出しないままでいたのだ。

つまり、私は9月に
修士論文を提出し終わった後も、
博士課程に進むということで
英国に残っていたわけだが、
実際には正式に入学が決まってないという
宙ぶらりんな状態であったわけだ。(苦笑)
(博士課程を志す皆様、
これは絶対に真似をしてはいけません。=笑)

はよ、のんびりしとらんと
プロポーザル書かんかい、
ということなのだが。。。(苦笑)

うひょひょ。。。

ということで、推薦状。
願書には推薦状を2枚添付せよと
指示があった。

それで1枚は
指導教官に内定していた
ソフィアにお願いして、
もう1枚は修士課程時代お世話になった
アラン・レイトン=スミス教授に
お願いした。

アランのおじいちゃんは快諾してくれた。

「かみぽこ。推薦状書いたから、
僕の研究室に来てくれ。」

アランのおじいちゃんから
メールが届いたので
研究室を訪ねた。

普通、英国で推薦状というのは、
推薦人が直接出願先に送るものであって
その内容を私が見るなど
本来できないことだ。

実際、ソフィアの場合は推薦状を
直接学部に提出するからと言って、
その後彼女がどんな文章を提出したのか
私は一切知らない。

しかし、アランのおじいちゃんは
サッチャーさんとの長年にわたる
移民政策を巡る大バトルを経て、
さすがに酸いも甘いも知り尽くして
細かいことはどうでもいい
境地に達しているのか(苦笑)
推薦状の内容を提出前に
私に見せてくれるということだった。

「これでいいかい?」

私が研究室に入ると
アランのおじいちゃんは
ニカッと笑いながら
私に1枚の紙を渡した。

その紙にはこんなことが書いてあった。

「かみぽこは、
私がコースダイレクターを務めた
政治学研究科修士課程のコースに
入学して来た当初は、
英語がものすごくできませんでした。

しかしその後、
彼はすさまじい努力をして
英語力が劇的に向上させ、
コースの最後の課題である
修士論文では
自己最高得点の
68点を取りました。

私はこの学生が
博士課程に入学することを
推薦することをためらわない。」

ははは。。。

私は思わず笑ったしまった。
まあ、最後の部分の

「推薦することをためらわない」

というのは、
英国流の推薦状での
表現方法だということは
以前書いた。

だからこれはいいとしてもね。。。

「『当初は、英語がものすごくできませんでした』
ってのは、なんとかなりませんでしょうか?」(苦笑)

私はアランのおじいちゃんに言った。

「そうかい?

『その後、劇的に向上した』
と書いているし
本当のことだから
これでいいと思ったんだけどなあ。

じゃあ、この部分は削除するよ。」

アランのおじいちゃんは
その場でパソコンに向かって
文章を直して再びプリントアウトした。

「これでいいね。
じゃあ、サインをして
学部に提出しておくよ。」

おじいちゃんはニカッと笑った。

アランのおじいちゃんが私のことを
「英語がものすごくできなかった」
と書いたのは、
別に悪気があったわけじゃなかった。

以前も書いたように、
英国の推薦状では
本当のことを書くので、
アランのおじいちゃんからすれば
普通に思ったことを書いただけで
他意はなかったのだ。

ただ、私はあくまで日本人なので、
なんとなくネガティブな表現が
推薦状に書かれているのが
気になってしまって
削除をお願いしてしまったと
いうことだった。

別にうちの学部に提出するものだし、
これで落とされるようなことも
ありえなかったわけだから、
どうでもよかったんだけどね。(苦笑)

さて、推薦状を2人の先生から
学部に提出してもらったことで、
博士課程の願書に関する
全ての書類が揃った。

私は願書を学部に提出した。
その翌日。。。

博士課程の責任者である
ピート・ベンサム博士から
呼び出しを受けた。

私が彼の研究室に入ると、
彼はどこかへ電話をかけた。

「書類、持ってきてくれる?」

事務所のおばちゃんが
なにやら書類を持って
やってきた。

ベンサム博士はなにやらそれに
さらさらとサインをして
1枚をおばちゃんに
もう1枚を私に渡した。

「博士課程への入学を許可します。
ピート・ベンサム」

と、書いてあった。

はあっ?

(願書提出したの、昨日やんか。
わずか1日で合格なの??)

と、思わず言いかけたが、
博士課程に入れてくれるなら
余計なことは言わんほうがええわと
思い直して黙っていた。(苦笑)

まあ、要するに私が出した
プロポーザルなど見てないんだろう。

最初から博士課程に入れることは
決まっていたわけで、
それなら1ヶ月以上かけて
プロポーザルを書いたのは
なんだったのってことになるのだが、
後から思えばソフィアが

「いいから、早く出しなさい」

と言ったのは
どうでもいいから
形だけ出しなさいと
いうことだったのだろう。

まあ、ここで無理やり
教訓のようなものがないか
考えてみると(笑)
1つには、博士課程に入るには
何を置いても指導教官になってくれる
先生を捕まえること。

私のケースは、
とにかくソフィアが
博士課程に受け入れOKと
言っていたこと。

先生がそう言えば、
基本的に誰も反対しないと
いうことだね。

次に、成績だろう。
この願書提出の時点で、
私の修士論文68点という
成績が既に出ていた。
(うちの学部では、
70点以上の成績を
ディスティンクション=特優
としていて、
70点以上を取るのは
100人くらい修士の学生がいて
5人くらいだった。)

これが絶対的な説得力を
持っていたのだと思う。

結局ね、どんなにすばらしい
プロポーザルを書こうとね、
その人が研究を完成させられるか
どうかということを
客観的に判断する材料ってのは
修士課程の成績しかないんだよね。

この2つの要因があって、
願書提出後「わずか1日」で
博士課程への入学が
認められたんだと
一応思っています。(苦笑)

それでは、またね。





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最終更新日  2008年03月03日 14時21分46秒



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