五島列島行(2)-大浦天主堂とコルベ神父
国宝とされた大浦天主堂は美しい木造ゴチック式聖堂で、正式には日本26聖人殉教者天主堂と言うのだそうです。1865年プチジャン神父によって浦上村の潜伏キリシタンが発見され、「信徒発見」のニュースはローマへ伝えられ、世界カトリック史上に残る「東洋の奇跡」として教皇ピオ9世を感激させたのですが、キリシタン禁教は1873年まで継続されたままで「浦上四番崩れ」「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧と虐殺が続いたのは何とも悲しい歴史です。大浦天主堂の入口に立つこのマリア像は一際清楚で美しい像で、「日本の聖母像」として知られています。又堂内は写真撮影禁止ですので、入場券からスキャンした主祭壇の様子をご覧下さい。大浦天主堂に隣接する資料館ではキリシタン弾圧などに関する多くの資料が展示されていましたが、出口展示室にコルベ神父についての展示がとても印象的でした。コルベ神父は、1930年来日、大浦天主堂下の洋館を寓居として教区神学生に哲学を教え、日本語による『無原罪の聖母の騎士』誌を発行。 1936年故国ポーランドに帰国するまで精力的に出版物による布教、邦人司祭の養成に活動しました。帰国後ナチス・ドイツの 強制収容所アウシュビッツに収容され、妻子ある一人の囚人の身代わりとなって餓死刑を受けましたが、信仰の力に寄るものか並はずれた体力の為か、死ななかったので薬物注射によって毒殺されたと記録されていますが、まるで釈迦の自分自身が飛び降り自殺をして空腹の虎の餌となったと言われる「捨身飼虎」の逸話そのものです。1982年来日したヨハネ・パウロ二世によって聖人の位に挙げられました。