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PLAYWORKS岸井大輔ブログ

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2004.06.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昼 パラフォトの森田さん・佐々木さんとミーティング。
深夜 谷中への新参者への案内を考えている団体と終電から、始発まで、千駄木でミーティング。

***

幽玄について。


幽は「かすか」ということ、玄は「暗い」ということ。
「幽玄の美」、とは、美しいものは、かすかで、暗く、ほとんど見えない、ということです。

どんなアーティスト(芸術家・職人)でも、
ちゃんと筋を通していて、多くの仕事をしている人は
仕事が幽玄に入っていくことを、僕は経験から知っています。
逆に、幽玄の境地に入っていない人は、
たいしたことがない、とも。

これは、日本芸術に限ったことじゃない。
(幽玄は荘子から来ているので、中国、というのは、もちろんですが)
例えば、カルヴィーノが、カフカを評し「軽くて暗い」と呼んでいるのは、まさに幽玄のこと。
あるいは、プリセツカヤ。あるいは、モーツァルト。

反対語は「明白」。明白にも、明白のよさがある。が、本当に明白の良さをもつものは、実は、幽玄になる。ので、「明白に!」という掛け声、例えば、「もっと、わかりやすく」「もっと、楽しく」というのは、明白から遠ざけることが、ほとんど。
幽玄と「重い」も正反対。暗くて、重いものは幽玄ではない。例えば、荘重。荘重は幽玄に劣ります。
幽玄と「伝統」も正反対。型により、知恵により、意味により、それらを超えて飛んだ瞬間の形無しで無邪気で無意味の瞬間を幽玄という。
だから、生命にとっての生きているということであり、風が雲ひとつない空を吹くことで季節が変わること。それらは、かすかにして、ほとんど見えない、「幽玄」だ。

さて、ここまでは、わりにあたりまえのことです。

問題は、その先にあります。

一事において幽玄をもって行動するからといって、他事においても幽玄となるとは限らない。一人孤独に歩む内が幽玄であっても、他人と組むとなると幽玄でなくなる場合も多い。個人ワークが幽玄になることで終わるのは、実は簡単なことだ。集団が幽玄を扱える、コミュニケーションが幽玄となる、という境地は難しい。
だからといって、一人幽玄の道を歩むのみにとどまることは、幽玄ではない、と思う。意を幽玄におき、他者と常に対したい。しかし、それもまた、けして幽玄ではない、のだ。なぜなら、他者とともにあり幽玄である、とは、その境地において自在に遊ぶ、ということだからです。

幽玄に必要なものは、形式と精進と目標と愛情。
しかし、幽玄での自在さ、とは、それらを、極めた後に、忘れ去ることにあります。

極めたがゆえに、忘れること。
それだけが、問題なのです。

***

人の継続性を共有する集団-1(集団の外部―4-1) (演劇の形式化 2004―4-4-1 6月17日の日記の続き)

集団を継続するものとしたとき、私達は2つの図式を得た。
まず、集団内には人間のみを入れ、)人を入れず、同じことだが、集団外の人と集団内の人を区別しない場合、図式G
集団N<人間x1・・・人間xn>人=z1+α1・・・人zn+αn、人々
  →
 集団M<人間y1・・・人間ym>人=z1+β1・・・人zn+βn、人zm+βm、人々
を得る。このとき、集団の継続性は、集団の外に、人z1・・・人znが継続してつながっていることによって保証される。が、同時に、この図式では、集団内において、いかなる継続性も見出せないのだから、立場3、つまり、集団は継続しないという考えの図式とみなすこともできる。立場4の図式とするには、「集団外の継続」という、少し苦しい解釈を認めなければならない。そこで、立場4の図式として妥当であるといえるかどうかを検討してみよう。
さて、立場3も立場4も、人物の継続性は認めているのだから、人物の継続性に戻って考えてみる。すると、そもそも、節3-3-2で考えた、「人物の継続性を認めるならば、考え方、つまり人のコミュニケーションに依存するものを)人の一部として認めないとならなくなる」ことが、人物の継続性を考える上での留保事項であった。今、2つの留保事項があるが、その間に何か関係があるとはいえないだろうか。そこで、この留保事項を、集団の観点で検討してみよう。
人z1・・・人znが、集団の生滅を超えて、同じことだが、人間の生滅を超えて、継続して存在するものを認めるためには、ある人間達のコミュニケーション、つまり、集団が必要である。この集団は、人zの継続性を認めるならば集団Nに先立って存在せねばならない。
ここで、この集団をOとする。
集団Oは、人において継続する部分は、人zであるとみなす人間の集団である。
では、集団Oと集団N、Mの関係を、立場4において、つまり、私達が立場4をとり、さらに、図式内の人間も全員立場4をとっているとみなし、検討する。
すると、人間x1・・・xnおよび、人間y1・・・人間ymは、全て立場4であるから、集団は継続しているものと考えており、その同一性は人z1・・・人znによると考えている。とするならば、人間x1・・・ymは、全て集団Oに所属する。集団Oは人zを継続しているものとみなす集団であるから。
また、集団Oの構成員として、人間x1・・・ym以上の人数が存在することが、一般的に、許される。彼らは、人物の継続は人zの同一性によって保証されると考えているのだから、集団Oの外部につらなっている)人の数は、集団Nの外部に連なっている)人の数以上であると、考えられる。

以上を図式Kにまとめる。
K:
・K1 人物の継続。(同一性を保つ部分を人zとする)
人間x)人za+α → 人間y)人za+β
・K2 集団Oの定義
集団O{o|o=人が同一性を保つ部分を人zとみなす人間達|o=人間1)人z1、・・・人間x)人za、人間y)人za、・・・、・・・人間o人zo}
・K3 集団Oから集団Nの生成
  集団O<人間w1・・・人間wo>人=z1+γ1・・・人=zo+γo、人々
   →
   集団N<人間x1・・・人間xn>人=z1+α1・・・人=zn+αn、人々
    (ただし、一般的にはn≦o)

ここで、構成員が全て立場4であり、また、全ての構成員が人zを人物の同一性を保つ部分とみなしていて、同時に、全ての構成員が自分は人の部分zを持っているとみなしている場合、集団Oは、集団Nだけでなく、その中で集団が生成・消滅することになり、まるで、全ての集団を外から含みこむようにイメージされる。つまり、集団Oこそが、全ての集団の外部であるかのようだ。
私達は今、集団の外部を見つけた。しかし、これが外部になることは、多くの条件のもとでしか成立しなかった。一つ一つの条件について検討していくことになるが、その前に、集団O、すなわち、人の継続性を共有する集団を扱いやすくするために、整理する。





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Last updated  2004.06.20 23:17:57


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